法則とは何か

かつて法則は、観察・実験を繰り返すことで帰納的に得られる、と考えられていた時代もある。 だが、現代では、法則はあくまでとりあえず「仮説」としてたてられ、その仮説から具体的・個別的な命題を導き出し、その命題を観察・実験で検証し、有効性が検証されれば「法則」に格上げされ、そのようにできた複数の法則が体系化したものが「理論」だ、と言われるようにもなっている。
(中略)
スチーヴン・トゥールミンはその著書『科学哲学入門』(1953)において、法則は、"法則本体" と "適用範囲" の要素に分離できることに言及し(例えば「xがAならば、xはBである」という本体部分と、「xがa,b,c、、、s,t,u の範囲ならば」という適用範囲の指定があり)、それらを分離して吟味すべきことを述べた。 トゥールミンは「法則というものは有効範囲が不明な周遊券のようなものである」と指摘。我々は有効範囲が不明な周遊券を持っており、旅に出てとにかくそれを使ってみる。そして無事使えると、事後的に"ここは周遊券の有効範囲に入っていたのだ"とする。同様に法則も、新たな領域においては実際に適用できるのかそうでないのか事前には判らない。無事適用できると事後的に"ここは適用領域の中だったのだ"とする、と指摘。つまり、法則の一回一回の適用行為は一種の「賭け」であり、法則を適用できるとの考えは、過去の適用の成功事例をもとにしたあくまで帰納的な推測にすぎない、またそれゆえに「法則」は確かさをもって新しい事例を導き出すことはできない、と指摘した。


法則 - Wikipedia


物の動きには、どんな法則性もなく、物体は、偶然や不規則としか言いようのない動きをする、わけではなく、そこには何らかの規則性がある、と考えざるをえない。考えざるをえない、わけではないかもしれないが、たとえばボールは、手を離せば必ず落ちるし、狙ったところに投げれば、だいたい狙ったところに飛ぶ。ここに、ボールの動きの規則についての仮説を立てることができる、可能性(動機付け)があるし、それにしたがって予測をすることができる、可能性がある。こういう素朴な段階での、データ、仮説、法則、予測、について考えると、法則には、法則そのものと、その法則の連続性(適用可能性の連続性、継続性、適用範囲の広がり)のふたつの面がある、ように思える。