重いものほど速く落ちることを否定する思考実験について3 背理法について(無関係)

重いものほど速く落ちることを否定する思考実験は、どこかすっきりせず納得できない感じがあるのでその謎を探りたい。この思考実験は背理法を用いていると思える、あるいは、背理法に似ている方法を用いているように思える。背理法は納得できない、と感じる人は多いらしい。だから背理法の納得できにくい性質が、この思考実験の納得のしにくさに良い影響を与えているのではないか(納得したいという感情にとっては悪い影響だが、納得がしにくいという性質にとっては良い影響)。だから、背理法の性質をまず勉強しよう。という流れでした。しかし私は既に書いたように、この思考実験に納得できにくい感じがあるのは、ひもで連結したという性質の扱いがおかしいからではないか、と、最初から感じているのであり、背理法は余計な話だと思っている。だがここで背理法の話をやめるとどうなるだろうか?



背理法と数学的帰納法はなぜ嫌われるか?」によると、背理法には、以下の概念の習得が不可欠とのことです。

  1. 命題
  2. 排中律(はいちゅうりつ(なぜか漢字変換できない))
  3. 否定
  4. 矛盾


やっぱり、背理法についていろいろ考えたところで、重いものほど速く落ちることを否定する思考実験における騙されている感の中心とは関係のない方向に行ってしまいそうです。行ってしまいそうですが、ここまで来たのですから、一応、ひととおり、やってしまおうと思います。
ここまでしたのだからやってしまおうという考え方が損害の拡大を招くのか、何をやってもちょっとだけしてすぐやめるからなにひとつものにならないのか、どちらを取るのか、その辺はよくわかりませんが、そういう型の話ではないのだと思います。とりあえず、重いものほど速く落ちることを否定する思考実験を、できるだけ数学的に厳密な背理法に合わせてみようと思います。
「数学的に厳密」ということについて話をすると、高校生の頃、君たちは高校生だからここまででよいが本当はこれでは不十分なのです、のようなことを、言われたような言われていなかったようなことを思い出したりします。つまり私の手におえなくなりそうなくらい専門的であったり難しかったりすることになりそうなので、ここで言う「数学的に厳密」とは、使われている用語の意味をもう少し限定する、というような意味、ということにすればいいのではないか、と思いました。
書き直すと、とりあえず、重いものほど速く落ちることを否定する思考実験を、できるだけ用語の意味を限定して背理法に合わせてみようと思います。「用語の意味を限定して背理法に合わせてみよう」という言い方で合っているだろうか? これでは意味は通じていないような気がします。そう思うのなら通じるように書き直すべきだと思いますが、私は文章が異常にへたくそで、何回書きなおしても変な文章になってしまいます。書き直せば直すほど変な感じが文章のあちこちに頑固に残ってしまうのです。実際、2月4日に書いた「地球は丸いと言ったときの丸さは、ボールが丸いと言ったときの丸さとは、意味が異なる、のかどうか」が滅茶苦茶だったので2月8日に書き直したものを載せたのですが、それも細部が余計酷いありさまになってしまいました。じゃあちゃんとした文章になるまで書き直し続ければよいではないか、半年かけて書き直せばよいではないか、となるのだと思います。
ここは、物の動きが予測できることの不思議を解明するためだけに書く日記と決めているので、今後は、物の動きについての考えや妄想だけを書き、それ以外のことは書かないようにしようと思います。
それはその通りだと思いますが、背理法について書くのは大変つまらない作業であるためすぐやめにしたいです。どうしてこんなことになったのか……。