重いものほど速く落ちることを否定する思考実験について

ガリレイガリレオ)は、重いものほど速く落ちるかどうか、を思考実験によって否定した、のだと聞きました。この思考実験について、この考え方は背理法だ、いや、背理法ではない、のようなことを、以前書きました。そのままになっていたので、この思考実験は背理法であるかどうかのことも含めて、この思考実験について、少しぼんやり考えていこうと思います。


思考実験の概要を確かめておきます。

  1. 重いものほど速く落ちると仮定する。(仮定、否定したい内容)
  2. 重いものと軽いものをひもで連結して落としてみる。(実験)
  3. 連結したもののうち軽いほうは、重いほうよりも遅く落ちるから、連結したものは、重いものを単独で落とすよりも、遅く落ちる。(結論1)
  4. 連結したものの重さは両者の和であり、個々のものよりも重いから、連結したものは、個々のものを単独で落とすよりも、速く落ちる。(結論2)
  5. 結論1と結論2は矛盾する。したがって、仮定が誤っていることになる。重いものほど速く落ちる、という仮定は誤りだった。落下の速さは重さとは関係ない。(結論)

だいたいこのようになると思います。
これを見ると、なるほどなあ、と思うよりも、なんだかだまされているようだ、と、私には、思えてしまいます。なんとなく感じていたことが、事実とは異なっている、ということは、よくあることですから、だまされているようだと感じられたからといって、本当にだまされているわけではない、と思います。論理的に考えた結論が、常識的な感覚と異なることも、ありそうなことですから、直感的常識的に納得できなかったとしても、それを、理論が間違っていることの証拠には、できないわけです。ですが、だまされていると感じられたことにそれほど意味は無くても(だまされていると感じたことによって、求めている道筋に近づくわけではない、と思ったとしても)、だまされている感が無くなるわけでもないし、だまされている感が残ったまま次に進むこともできない、こともないですが、一歩一歩確実に行きたいので、ここで、もう少し粘って考えて、納得しておこうと思います。納得しておけば、ここでの納得が間違いだったとしても、ここでの納得が間違いだったとわかるときには、より着実に進んでいくことができそうに思うからです。ここで納得しないまま適当に進んでしまうと、納得したときの着実さを得ることはできない、ような気がします。では、着実さとは、そんなに大事なことなのか、という問題もあるかと思いますが、着実さは大事だ、ということにしておかないと、進まないと思いますので(進みますが、進まないということにしようと思いますので)、着実さは大事だということにしておこうと思います。
まず、背理法について勉強しようと思います。背理法とは、証明したい事柄の否定を仮定しそこから矛盾が起こることを利用する、という方法ですから、重いものほど速く落ちるのかどうかの思考実験は、背理法を用いているように思えます。そして、背理法自体直感的にはなかなか納得しにくいことのようですので、背理法の方を、まずクリアにしておこうというわけです。
正直言って、重いものほど速く落ちるのかどうかの思考実験について考えることが、予測ができてしまうことの不思議の解明につながるのかどうかは、あやしいように思えるのですが、それでも考えようと思ったのは、思考実験には、実際の実験を行わなくても、実際の事実を観測しなくても、考えるだけで重要な事実(法則)を導き出すことができる、という強力な性質があるからです。実際の事実と法則の間の関係は、予測ができてしまうことの不思議と直接関係する重要な関係です。思考実験は、この関係と同等の重要性があると思えるので、考えておいてよいだろうと思います。(つづく)