地球は丸いと言ったときの丸さは、ボールが丸いと言ったときの丸さとは、意味が異なる、のかどうか(内容が酷いため修正版を2/8に掲載)

地球は丸いと言ったときの丸さは、ボールが丸いと言ったときの丸さとは、意味が異なる、のかどうか。丸いというのは、目で確認でき、地面が下にあって、上には空がある、という常識的生活空間のなかで、手で持って投げることができたり、眺めて丸さを見ることができる、ということであって、地球が丸いといったときの丸さは、そういう丸さとは全然違い、地球が丸い丸さは、太陽系を円盤状に見立て、上下左右のある空間のなかに位置づけ、例えば仮想の机に(頭の中で)置き、そしてそれを外からまとめて見ることができる位置に自分を置いて、はじめて言えることであって、そのとき地球は地球ではなく机の上に乗ったボールのようなものになってしまっており、いま自分が立っている地面が地球で、それは実は丸い、ということとは別のことになる。というようなことが永井さんの本に書いてあったような記憶があります。地球は丸いということと、地球は丸くないということは、矛盾しない。地球が丸いということが意義を持つときもあるが、今立っている地面である地球は丸くない。その生活的自然観の地球を不自然に度を越えて拡張すると、海の向こうに滝があって魔物が口をあけて待っている、というような話になる。海の向こうに滝があって魔物が口をあけて待っていると昔の人は考えていた、という話はなんとなくあやしい。海の向こうに滝があって魔物が口をあけて待っていると昔の人は考えていたというのは、昔の人エンタリズムというものではないだろうか。想像だけで言っているので全然わかりませんし、たぶん魔物がいると思っていた人もいるかもしれないと思います。それで思い出したのは、小学生のとき好きだった絵本のことです。かこさとしさんの『宇宙』(1978年)という絵本なんですけど、この絵本はすごくおもしろくて何度も何度も読んでいました。私がこの絵本が好きで何度も何度も読んでいたのは高校生のときのことです。少し嘘をつきました。何を書くにもこういう意識が忍び込みます。思い出したら読みたくてたまらなくなってきたので今日買いに行くかもしれません。何故かこさとしさんのこの絵本を思い出したのかというと、この絵本は当然宇宙について書かれているのですが、最初は、ノミ(蚤)のジャンプから始まります。記憶が確かではないですが、たぶん蚤からだったと思います。そこから、人間の高飛び、棒高跳び、ボール投げ、ピストル、鉄砲、飛行機、…… のように、高く遠く飛ばすことについて、順を追って説明していくという構成になっています。音速の壁(プロペラ機で出せる速さには限界がある)とか熱の壁(飛行機を速く飛ばしすぎると空気との摩擦で機体が燃えてしまう)の話があり、重力の壁が一番きつい、という話になって、ロケットエンジンの開発によってついに大気圏、地球の重力圏を突破する、という話になります。なにぶん昔のことなので記憶があいまいです。本屋さんで見かけたら買おうと思いますがいまでも置いているかどうか。地球を飛び出し、何万キロか何十万キロか離れたところだったか、太陽系を離れたところかだったかそのあたりで、「このあたりまで来ると十下の区別はなくなります。」という文章が出てくるのです。これには小学生の私も少し衝撃を受けました。衝撃を受けたといいますか、最初は意味がわかりませんでした。上下がない、って、あるやんか、上下はあるよ、と思っていた、と思います。でも少し止まって考えてみると、なんとなくわかるような気もする。そのページの絵は、青黒い宇宙空間を背景に公転軌道である円弧が白い点線で描かれた地球の絵だったと思いますが、それを見ながら、上下の区別が付かなくなる位置について考え、混乱していたのを思い出します。今思えば、この絵本は、生活空間から宇宙空間への移動は、単なる位置の違い、位置の移動、では済まされない、ことをなんとなく感じさせてくれる絵本だったように思います。