重いものほど速く落ちるということについての思考実験について。

軽い物体は落下速度が遅く、重い物体は落下速度が速い、とする。軽いものと重いものをひもで連結して落下させるとどうなるか。連結したのだから、全体では重い物体+軽い物体の重さになるのでさらに速く落ちる、のか、軽い物体の落下速度と重い物体の落下速度がつりあう速度で落下する(軽い物体が重い物体をひっぱり上げる)、のか。どちらも正しいように思える。これは矛盾なので、軽いものは落下速度が遅く、重いものは落下速度が速い、という想定は誤りである。
この思考実験ではいったい、何がなされているのか。または、思考実験とは何か。
まず、重いものほど速く落ちる、と考えられていたことに対して疑問を持つ、ということがないと、実験は始まらない、ように思えます。何故疑問を持つ状況が出てくるかというと、物の重さと落下速度の関係について、実用的な予測の必要などが出てきたからではないか、と思えます。これは想像です。このあたりは当時の社会状況やアリストテレスガリレオガリレイ)の自然観などについていろいろ勉強しなくてはならないのか、そういう話ではないのか、どうなのでしょうか。とにかく、重いものほど速く落ちる、ということに対して、疑問を持つということがなければ、考えたりしないのではないか、という気がします。まず、疑問があった、その疑問はどういう疑問だったのか、によって、実験の内容も変わってくるのではないでしょうか。現象のどのような点について疑問を持ったのか、その点について確かめるにはどういう実験が必要となるのか、疑問の内容によって実験の内容も変わる、つまり、実験とは、ほとんど、大筋では、意図した結果を出したいためになされるものではないか。その大枠の中で、AであったりBであったりするかもしれないが、そのような差はたいしたことはないのではないか。そんなことはありません。重いものほど速く落ちるのと落ちないのでは全然違います。しかし、重いものほど速く落ちる、ということに疑問を持った場合、では、本当は、重いものほど速く落ちるのではない、のだとしたら、本当は、どうなるのか? そこからどのようにして、落下速度は重さと関係ない、という想定が出てくるのか? この想定がないと落下の実験はできないのではないか? この想定はどこから出てくるのか。今までの観測データから? 本当に重いものほど速く落ちるのか、という疑問を持つということはどういうことか、ということが、落下に関する想定よりも、実験結果よりも、重要になるのではないか?
行き過ぎました。まず思考実験から考えます。思考実験とは、実際に実験をせずに、今手にしている法則と論理だけで、ある前提から現象の結果を考える、ということです。この場合、前提は、重い物体と軽い物体をひもでつないで落下させる、です。結果は、連結物体は、1:より速く落ちる、2:軽い物体の落下速度と重い物体の落下速度がつりあう速度で落下する、の、ふた通りが考えられます。次に、今手にしている法則と論理を挙げてみます。まず、重いものほど速く落ちる、という法則があります。