重いものほど速く落ちることの質

アリストテレスの立場がどうであれ、物の動きを正確に表現する、予測する、という点については、重いものほど速く落ちる、よりも、ガリレオガリレイ)の、落下速度は物の重さと関係ない、のほうが、「正しい」のではないか、と思えます。
ガリレオは、重いものほど速く落ちることを、思考実験によって確かめた、という話があり、そのことを以前、実験で確かめられる確実性よりも、高い確実性があるのではないか、と書きました。(→該当箇所
重いものほど速く落ちる、ということは、厳密に正確な事実ではなさそうですが、ほとんどの場合正しそうです。それは、理念的な想定ではなく、直感的な正しさ、生活実感や自然な感覚に沿った、表現ということになるかと思います。そのようなことを、検証するとか、確かめるとか、したくなる段階で、生活や実感から離れている、ということになるのではないか、と思えます。つまり、確かめた結果、やっぱり実感どおり重いものほど速く落ちたよね、となることはない、のではないか? 重いものほど速く落ちるわけではない、となるしかないのではないか。やってみなければわからない、ということが、実験の本義だとすれば、落体の実験(斜面玉転がし実験)は、文字通りの、やってみなければわからない、の実験、ではない、ように思えます。これは無理矢理な考え方だろうか。
ガリレオガリレイ)は、重いものほど速く落ちる、という、生活実感、自然な感覚、を超えたところで、物の動きをつかもうと考えた(そのように考えたのかどうかは知りませんが)。そのようなところから、斜面玉転がし実験を考える必要がある、ということになるでしょうか。
そこで、例の思考実験です。実際の実験観測を、いくら積み重ねても、これからも同じようになるとは確定できない、想定していた法則から外れる例が出てくるかもしれない。しかし、思考実験なら、実際に実験観測をしなくても、その結果に矛盾を引き出すことで、想定を間違っていると確かめることができる。考えの中で矛盾が導き出されてしまえば、実験しなくても、想定は間違っていたと確定できるので、それは、実験とは次元の違う確実性だ、と以前書きました。

軽いものは落下速度が遅く、重いものは落下速度が速い、とした場合、軽いものと重いものを連結して落下させるとどうなるか。連結したのだから重い物体よりもさらに重い物体になるわけで、連結するとさらに速く落ちる、のか、軽い物体の落下速度と重い物体の落下速度がつりあう速度で落下する(軽い物体が重い物体をひっぱり上げる)、のか。どちらも正しいように思える、これは矛盾なので、軽いものは落下速度が遅く、重いものは落下速度が速い、という想定は誤り

これは、論理(背理法)ではなく、結局、生活実感、自然な感覚、に頼った考え、ということになるのではないか……? もしそうなのだとすると、実験よりも確実性が高いとはとても言えない。この思考実験の確実性は高くない、と思うのですが、そのあたりどうなのだろうか……。確実性が高いかどうかということも問題だし、自然な感覚に抗することとしての実験の狙いから外れる、ということも問題だと思えます。となると、落下速度は重さに関係ないという考え、はどういう考えだということになるのか……。