今までの観測データから作られた法則が、これからの観測や、観測していなかった時のことにも適用できる、ということについて。

観測データがある部分については、個々のデータから、それらに共通する規則性を見ようとすることができます。観測データがない部分は、データがないのだから、規則性も何もない、はずだと思えます。しかし実際には、観測データがある部分の規則性が、まだ観測していない部分にも同じように成り立っているとして適用できています。この、観測データがない部分にも適用される規則性とは、どのような規則性なのか。
観測データがあるとしても、完全に不規則だと思えること、規則性を見ることができなさそうなこと、については、最初から規則性を見ようとは考えない、だろうから、まず、規則性を見ようとする段階で、それなりの規則性があるだろう、ということが想定されている、想定することができる、ということになるのではないか? それとも、規則なんかないと思っているときに突然ひらめく、ということがあるのか? あるかもしれないしないかもしれない。ひらめくとかひらめかないとかそういう話ではないと思います……。
規則性といっても何段階かあるのではないか。あるいは、規則にも種類があるのではないか。お父さんが毎朝起こしに来る、という規則は、100%確実な規則性があるとしても、物が落ちる速さは物の重さとは関係ないという場合の規則性とは全然違う。お父さんが毎朝起こしに来る、という規則については、お父さんの行動はお父さんの意志に従属するからそれは物が落ちる規則のようには規則だとは思えない、となる。毎朝太陽が昇る、という規則も、お父さんよりは規則性があると考えられるが、たとえば、太陽に寿命が来て太陽がなくなったら太陽は昇らない、であったり、地球に彗星が衝突して地球の軌道が変わったらもう朝に太陽は登らなくなるかもしれない、のように思う余地がある。けれど、物が落ちる速さ=物同士が引き合って近づくときの加速度は、物の重さ(質量)とは関係ない、という規則は、いつでも成り立つ厳密な規則だ、と思える。私には知識がありませんが、太陽が昇ってこない朝があることを簡単に想像できるように、物が落ちる速さは物の重さとは関係あると想像できる場合があるのでしょうか?
未来のことや、観測していなかったときのことのような、観測データがないときのことも、観測されたデータから作られた法則が適用できると思えるし、「実際に適用できる」とも思えます。(あるいは、「実際に適用できる」。)このとき、このような、いつでもどこでも成り立つ、あるいは、ある条件下ならいつでもどこでも成り立つ、という考え、規則は、実際にある、ということになるのか?