今までの観測データから法則を作り、これから起こることを予測する、あるいは、(過去の)データがないときのことを推測する。

素朴に考えると、観測データは、証拠として手に入る、手がかりとして利用できる、唯一のものであり、もっとも大事にしなければならないもので、これをもとに法則が作られた、と考えられる。どんなに簡潔で応用の利く法則を作ることができたとしても、その法則に合致しない状況が観測されてしまうと、法則は間違っているということになるか、これまでの法則に合致しない状況をもうまく説明することのできる新しい法則を作る動機が生まれる。
しかし、たとえば、重さの異なるものを落として速さを比べる実験の場合、その実験自体があやしい。あやしいというより、実験をする前に結果がわかっているのではないか、ある特定の結果を示すために実験がなされたのではないか、と思える。重いものほど速く落ちる、ことは、そういった実験で確かめられる種類の事実表現ではないのではないか、あるいは、観測するまえに、実験者は、物が落ちる速度は物の重さとは関係ないという枠組みを作り出していた、実験結果はその決定的証拠ではなくその一環に過ぎない、と思えてしまう部分もあります。これは無理している考えだろうか?
実験⇔観測、というやり方の中においては、これまでの観測データとの合致を目指して法則が作られるのだから、今までの観測データと法則の合致は、必然的となる。問題は、今までの観測データと合致していたに過ぎない法則が、まだ観測していない観測データにもうまく合致することがほとんどだ、ということであり、今手にしている法則で、未来の予測が厳密にできてしまっている、ということです。
まず、「ほとんどだ」とは書いたが、それがどの程度「ほとんど」なのかについては、私は知識がありません……。万有引力の法則が、どれくらい正確なのか、どれくらい正確だと「ほとんど」と言えるのか、観測データとの合致が正確かどうかを判断する基準の妥当性は何によるのか、と言ってしまうと、そういう疑問は、何も知らないくせに文句は付けたいだけの意見、のような気がする。たぶん素人レベルでは疑問の余地がないくらい正確のように思えます。
「まだ観測していない観測データにもうまく合致することがほとんどだ」についても、それは、今現在、法則ができたあとに観測されたデータも法則にうまく合致した、という例がたくさんあるからこそ言えることであって、法則ができたあとに観測されたデータが法則とうまく合わなかった、ということもたくさんあるだろうし、実際、法則ができようとしている現場では、そういうことは日常茶飯事なのではないだろうか。このことと、既に確立した有名法則(慣性の法則万有引力の法則、など)は、今後も観測データと合致し続ける(あるいは、特定の状況下での観測データと合致し続ける)ことは確実だろう、と思えることと、比較はできるだろうか。
少し混乱していますが、強引に比較すると、法則としての弱さ強さは、うまく合致する観測データの量で決まる、のだと、単純に考えると、思われる。ということは、観測データに合致する、ということだけでなく、これからの観測にも合致する、こと、つまり、物が落下する速度は物の重さとは関係ない、という法則と、明日も物が落下する速度は物の重さとは関係ない、という法則は、どちらも同じように、観測データに対応する法則、観測データから<考えられた>法則、ということになるのでしょうか?