法則の質と適用範囲

毎日太陽が昇る(落下速度は物の重さとは無関係)という法則を立てたけれど、毎日太陽が昇る(落下速度は物の重さとは無関係)という法則は変化しないということが成り立っていなかったら明日は太陽が出てこないかもしれない(落下速度は物の重さと関係するかもしれない)。だから、毎日太陽が昇る、だけでなく、この法則に、明日もこの法則が有効である、も付け加えればよい、のかもしれないが、これまで毎日太陽が昇っていたことは、観測データから確かめることができるが、明日もこの法則が有効である、かどうかは、観測データで確かめることができない。データがないから法則を立てることができない、ということもあるが、それだけではなく、明日もこの法則が有効である、という法則は、毎日太陽が昇る、という法則とは違い、原理的にデータがない。原理的というか、データがないところへの適用、つまり、予測について語っているのだから、データがあってはいけない。データがないところについての言及なのだから、データはない。法則は法則でもこの2種類の法則は質が異なっていると感じられる、という感じ方は正当な感覚だろうか?
毎日太陽が昇ることが法則として成り立つためには、明日もこれまでと同じように太陽が昇る、ということが想定されていなければならない、のではないか? いくらこれまでの観測データに100%合致する法則だととしても、明日も成り立つかどうかわからない、明日は成り立たないかもしれない、と思える余地があるのなら、毎日太陽が昇るということは法則とすることはできないのではないか? これまでの観測データによく合致するし、これから先の現象の予測もできると想定できる、そういうときに法則は法則となる、のではないか。これまでの観測データから、何らかの、変化しない構造(モデル)を見出して、それを法則にする、ということだろうか。
落下速度は物の重さとは無関係、という現象が、今日から急に変化するとしたら、それは変だと感じる。そういうことがないとは言えないのかもしれないが、そういうことが想定できるのなら、落下速度は物の重さとは無関係、ということは法則にならないだろう。落下速度は物の重さとは無関係、という法則は、この先も変わらない、ということも含んでいる。この、この先も変わらない、ということは、観測データに対応する表現なのか、そうでしかありえないこと(だから必要な内容だが明言はされない)なのか、というと、この両者の中間ぐらいのことのように思える。
あと、今急に思いついたのですが、明日だけでなく、観測はしてなかったけど、過去のあの時も落下速度は物の重さとは無関係だったのではないか、というのもありますね。