法則の規則性2

また話は飛びますが、いきなり不規則にならない、いきなりそれまでと異なった動きをしない、ということが、法則と予測にとっては、とても大事なことかもしれない、という話です。
これまでの物の動きをいろいろ見て、たくさんの観測データがあって、そのたくさんの観測データから、仮説としての法則をたてて、今度は法則から現実を見て(予測して)、法則をテストする、という流れになっているとぼんやり思っていたのですが、これまでにたくさんの現実データがあるのだから、法則を立てたからと言ってあらためて観測する、予測する、ことなんてしなくてもよいのではないか、ということもありそうな気がします。
たくさんの観測データをもとに法則を導き出した(作った)のなら、この上さらに観測をしても、法則に合致するに決まっている、のではないでしょうか。これでもし合わなければすべて駄目になってしまいます。駄目になるときもあるからテストが大事なのだ、ということかもしれないのですが、駄目かどうかを判定するテストができてしまうっていうのは、まだ法則が相当甘い段階なのではないか? カラスは黒い、と言ったあとに、白いカラスを捜し求めるようなものです。白いカラスはいないことが前提というか、昨日までと違って明日は太陽が昇らないかもしれないから、朝になると太陽が昇るという法則が正しいかどうかわからないから、明日の朝も観測してみよう、とはならないはずです。もし明日の朝も太陽が昇るか観測してみよう、と思う余地があるのだったら、太陽は毎朝昇る、という法則はまだ考慮不足、ということになるのではないか? 朝になって太陽が昇らなかったことがないから、朝になると太陽は登る、という仮説を立てた、法則ができた、のであって、ここで、でも太陽が昇らない日もあるかもしれないし…… と言う人は、正しいですけど、文句言いたいだけの人ではないでしょうか……。文句言いたいだけの人かも知れないですけど、これまでのことについて述べている法則と、その法則を明日に適用することとは、やはりまったく異なることのような気が、またしてきました……。明日は太陽が出てこないかもしれないと、わざとらしいけど、思えてしまう、そんなことはあるはずがないと思うけど、ないとはいえない、あるいは、毎朝太陽が出てくるなんてのは、毎朝お父さんが起こしに来てくれる、程度の確実性しかないよ、ということかもしれない。けどお父さんが起こしに来ない日はこれまで一度もなかった、のような話でしょうか。物を落下させると明日は重いものほど速く落ちるかもしれない、ということも、同じように考えられるのでしょうか……。
慎重に言えば、ここで想定されてしまっているのは、毎日太陽が昇る、ということと、毎日太陽が昇るという事実は変化しない、ということのふたつである、ということになるのでしょうか。毎日太陽が昇るという仮説を立てたけれど、毎日太陽が昇るという法則は変化しないということが成り立っていなかったら明日は太陽が出てこないかもしれない。だから、法則としては、毎日太陽が昇り、明日もこの法則が有効である、ということにすればよいのか? この議論はわざとらしい感じで済みませんでした……。規則の従い方の問題です。