物体の落下速度は重さに比例することについて

歴史的な事実(アリストテレスのこととか)を知らないので、完全に想像で書きますが、物体の落下速度は重さに比例する、ことについて少し妄想します。ちゃんと調べようと考えず、厳密に考えようとも思わず、楽してダラダラ妄想しているだけですすみません……。円の左右問題と手前向こう問題については少し中断します。飽きっぽくてすみません……。今続きを少し書くと、全然手前に置ける、置いたやん、と思います。無理矢理な話をしていました。しかしそんなことを言うなら物の動きの話全部が無理矢理な話ですがそういうことについては書きません。そういうことについて書くと日記が消えます。
物体の落下速度は重さに比例する、もしくは、重い物体ほど速く落ちる、ということですが、その考え方に対する実験(観測)として、空気を抜いたガラス管内で羽毛と鉄球を同時に落とす、とか、同じ大きさ同じ形の鉄の球と木でできた球を同時に落とす、というようなものを考えます。この実験は、重い物体ほど速く落ちる、という考え方をしている人にとっては、イラッとする実験なのではないでしょうか。人がイラッとするかどうかは物の動きとは関係ないとは思いますが、この実験は、重い物体ほど速く落ちる、ということに文句をつける(反論する)ためだけの実験ではないか、ということです。それで問題ないのかもしれないですが……。この流れはずるいのではないか? 話が逆ではないのか? という感じがします。実験して、物の動きを観測して、それから物の動きについての法則を想定する、という流れにはなっておらず、実験する前から、観測する前から、「重い物体ほど速く落ちるとかいう考えはおかしいですよ!」「確かにそんな感じがするし、実際羽毛と鉄球を同時に落とすと鉄球のほうが速く落ちますけどそれは空気の抵抗ですよ!」ということがわかりきっているうえで、駄目押しで実験するような、そういう感じがします。法則を立てて予測する→実験観測する、という流れは普通の流れだろうから、問題ないのかもしれない、問題ないのではなく、そうするのが正しい、のかもしれません。重い物体ほど速く落ちる、という考え方をしている人は、空気を抜いたら意味がないじゃないか! 空気抜くなんてそんな実験はおかしい! と思うかもしれません。思わないと思いますが……。空気抵抗のような話が出てくる時点で、重い物体ほど速く落ちる世界観とは違う段階に入ってそうです。空気を考えてしまったら空気を抜こうが抜くまいがもう負けのような気がします。勝ち負けの問題ではないですが……。
実験するまでわからないじゃないかとか、事前の思い込みは実験して観測すると裏切られることもある、というより、ほとんどが裏切られて、裏切られずやっと残ったものが法則になるのだ、ということかもしれませんので、やる前からわかっていることをやることにも意味があるのかもしれません。このあたりの流れがまだあやふやというか、よくわかってないので、今後も考えて(妄想して)いこうと思います。考えないかもしれません。
重い物体ほど速く落ちることについて、空気抵抗以外の考え方について知りました。軽い物体と重い物体と連結して落下させればどうなるのか、という考え方です。こういう考え方ができるということにまったく思い至らなかったので、やはり知識は大事だと思いました。それを言うなら落下に限らず物の動きについて全体的に知識が足らなさすぎなので、もっと勉強すべきだ、ということになるのではないか? それはともかく、軽い物体と重い物体と連結して落下させればどうなるのか、という問題です。軽いものは落下速度が遅く、重いものは落下速度が速い。軽いものと重いものを連結して落下させるとどうなるか。連結したのだから重い物体よりもさらに重い物体になるわけで、さらに速く落ちる、もしくは、軽い物体の落下速度と重い物体の落下速度がつりあう速度で落下する(軽い物体が重い物体をひっぱり上げる)、のでしょうか。