手前向こう問題と、上下左右問題

地面に描かれた的の左を狙ってボールを投げるとボールは的の左に落ちた、的の手前を狙ってボールを投げるとボールは的の手前に落ちた、の違いについて。
的の左を狙ってボールを投げた場合、投げ損ねでもないかぎり、ボールは左に落ちる。的の手前を狙ってボールを投げた場合、投げ損ねでもないかぎり、ボールは手前に落ちる。どちらも同じだ……。手の構造の問題、投げやすさの問題でしかないのだろうか……。あるいは、左右でも、ものすごくシビアな位置を問題とすれば、狙うことの難しさは手前向こうと同じになるか? でもこの問題は難しさの違いではなく、質の違いのような気がする。
たとえば、ダーツの的のようなもの、つまり、地面と垂直の壁に貼られた円形の的に向かってボール投げる場合、左右の違いと上下の違いに差は無いと感じる。的の上側を狙ってボールを投げた場合、ボールは的の上に当たるしかない、わけではないな……。壁との距離が近ければ、差はない、差は無さそう、と思える。ということは、左右と上下の差、ではなく、左右と手前向こうの差が問題の本質であって、それは、手の構造上の問題、投げやすさの問題、ではなく、地球の重力(引力)の問題が考慮に入っているかどうか、の差、ということになるのではないだろうか?
左右上下の投げわけは、位置の問題で、どっちを向いて投げるか、ぐらいの問題でしかない。それに比べ、手前向こうの投げ分けは、力の強弱(力の加減)の問題、ということではないか。上に、地球の重力の問題、と書いたが、重力が無視できるような状況、たとえば、(摩擦のある)地面に描かれた円の中に、転がしたボールを止めることができるか、という問題を考えてみても、左右を狙うことと手前向こうを狙うことの難しさ(質)の差は、ボール投げの場合と同じように思えるから、左右上下と手前向こうの差は地球の重力の問題ではなく、位置問題と力問題の差、ということになるのではないだろうか? しかし、左右方向に力が働いているからこそボールは左右に行くのだから、同じことなのか? いややっぱりなんか違うとは思うのですが……。
位置問題は、目で見てわかる位置の問題でしかないが、力問題は、それ自体目で見ることはできず、何かと置き換えて理解するしかない抽象的な問題となる、ように思われます。今の場合、まさに、「転がしたボールが的の上で止まるような力」としかいいようのない力でボールを転がせば的の上でボールが止まる、としか言えない、そのことが元になって数式ができている、というより、力概念ができている、ような雰囲気を感じます。雰囲気で急ぎ過ぎてすみません……。数式の話はしないことにします……。今は予測のことが問題だったのを忘れていました。
左右方向の予測はできる、こうすれば左に行く、こうすれば右に行く、というのはわかりやすい。しかし、手前向こうは、予測が難しい。簡単か難しいか、ではなく、難しさの質、予測の質が異なるように思える。その質の差とは、力概念を考慮に入れなければならないかどうかの差、ということになるのだろうか?
ボールを投げるからわからなくなるような気がする。投げたりするから複雑になっているような気がするので、もっと単純に、ボールを置いてみる。地面に描かれた円の上にボールを置くことにします、。円の左側や右側に置いてみる。問題なく置くことができる。円の手前に置いてみる。っていっても、置くと、円の手前というよりは、円の下、もしくは円の上、に置くことになってしまう。手前ということが意味していた感じはなくなって、ダーツの的を狙ったときのように、円の左右上下問題になってしまう。置く、というたとえでは、手前向こう問題はわからないのか……。そうではなくて、円の上下左右問題は、ボールを投げようが置こうが問題の質は同じだけれど、ボールを投げたときの手前向こう問題は、ボールを置く例では考えることはできない、ということ自体が問題の本質なのではないか? ということは、やはり、手前向こう問題は、運動の問題、つまり、力の問題であって、上下左右問題は、位置の問題(予測の必要ない確実性)だということか? そこに予測の質の違いが出るのか?