夫人論とウ

軽薄な思い付きというか誰もが普通に思い至ることだと思いますが言語記号の物質性といいますか「フィクション世界」ではなく「テクスト的現実」を重視するということが、像としての命題・記号よりも言表そのもの言表行為そのものを重視することに通じる、というようなことをもうずっと考えていたものですから、夫人論にラッセルフレーゲクリプキさんが出てくる(けどウは出てこない(書名の一部としては出てくる))ことはまあ待望でもあったわけですが(予感があった訳でも待ってた訳ではないですが)、夫人論は今のところ、その長さに関わらず、もしくは長いからこそなのか、おろかな私にはなんとなく百科辞典的に思えてしまう部分があり、ラッセルさんパートらしき「VIII 虚構と表象」も、そうなのか、まだ全然読んでいないのですが、すみません……。読んでから感想書きます。