日記

ここ一月ほど寒くもなく暑くもなく、たまに少し寒い程度で、ちょうどよい気温が続いており、気持ちいい。
朝家を出るときも気分よく歩き出せるし、夜帰宅途中も暑いとも寒いとも考えない。上着は必要ないし、熱いからTシャツ1枚になる必要もない。
自宅では空調なしただ座っているだけで快適だし、夜寝るときは一枚薄いふとんをかけるとちょうどよく、寒くないし汗もかかない。寝起きの気分もいい。
相変わらず深夜から早朝の床の振動が続いているし寝ていると何度も起こされるが、気候が快適なので助かっている。
春も秋もない年、暑い夏か寒い冬しかない時期、が長く続いたが、ここ十年ほどは、毎年春の期間を実感する。今年は特に春が長く、ありがたい。
 
という感想をAとします、と付け足さずにはいられない余計な感じがこの感想にはある。
なにも付け足す必要がない感想(毎日の感想)、ただ記述的なだけの感想、毎日の感情記録、というものがあるだろうか。
感想を書く意図があると、それについて言及せざるを得なくなるのだとしたら、意図が問題なのか。
素朴な感想には、意図があるのに無いように見せかけるという2重の意図があるとは言えますが、意図があることもそもそも素朴だとも考えられる。
「座禅」の目的は無になることではなく「ZZ'に向かって覚触する姿勢」(『座禅の意味と実際』)ということですが、日記は座禅ではありませんでした。