物理的対応、生物的対応、人間的対応、社会的対応、とその精神的結果

  • 体に物が当たる
  • 体に手が当たる
  • 体に触られる
  • 関心を持たれる
  • 好意を持たれる
  • 声をかけられる
  • 見られる
  • 性的関心を持たれる
  • 会話をする
  • 非難される
  • ほめられる
  • 推薦される

仲の良い友達と楽しく会話をする日が続くと、それなりの幸福感が続くのではないだろうか。
仲の良い友達と楽しく会話をする日が続いたことの結果、病気がちになったり、不幸感が増す、ということはありうるだろうか。仲の良い友達と楽しく会話をする日が続いたことの結果、Aという状態になったとしたら、それが、病気がちになったり、不幸感が増す、ということが、そもそも理解可能だろうか、普通にありうるただの経験的結果なのだろうか。
たたかれると痛く、その部分が赤くはれ上がる。しかし、適度な強さでポンポンと叩かれると、心地よく、嬉しい気持ちになる。これは偶然的な結果です。文脈によっては、適度な強さでポンポンと叩かれることが、ある種の興味の無さや、拒否の表明である場合は十分考えられる。
仲の良い友達と楽しく会話をする、ということそのものが、あったりなかったりすることによって、楽しいと感じたり感じなかったり悲しいと感じたりする、その感じの偶然的な接続を操作できるか、操作できないにしても、それはたかだか偶然的な接続にすぎないと考えることはできるか。
おいしいケーキを食べ、おいしいと思い、少しの幸せを感じる、というばあい、おいしいという気持ち(受け取り方)や、少しの幸せを、客観的に、非接続的付帯状況として傍観できるか。これができれば、不幸感に浸り続けてしまうことが避けられるのではないか。
そうした状況操作の問題ではなく、操作にはおのずと限界があるのだから操作は大事としても最終的には操作してもしなくても同じことで、いかなる状況であれ、浸らず見る、ということが大事なのかもしれないが。