「師を絶対正しいと信じる」

師を絶対正しいと信じる、ということは大切かもしれない、となんとなく思えるが、それはあくまで師と自分の関係の中でだけ言えることで、他人にも私の師を絶対正しいと思え、とは言えないだろう。
また、師を正しいとは思えないけど、師は正しいと信じなければならないから今は信じよう、という姿勢では意味がないと思えるし、「私は師を本当に尊敬しているし師に近づきたいし教えを乞いたいと思っている。師が間違っているかもなどと思ったことはないしそんな人なら師にはしない」と思っているのだとしたら、そういう思いがそもそも信用できるのか、師の正しさを保証するのか、というとするわけがないように思える。
師とは、正しいかどうか、というようなものではない、ということかもしれない。