好悪

Aさんは私が考える最悪のことを言うし行う。しかしAさんのことは嫌いではなくむしろ好きだ。Aさんに会うと厳しい口調で意見されるが、Aさんを嫌いにはならない。
Bさんは特に何か目につくことを言ったりしたりするわけではないが、Bさんのことは大嫌いだ。Bさんに会うといつも優しく話しかけてくれるし私に賛成してくれる。しかしBさんを好きになれない。
この場合、Aさんは、じつは、良いことを行っており、Bさんは悪いことを行っている、だからそれが好みとしてあらわれている、と考えることができるだろうか。
そう考えた場合、良いか悪いかを決めるのは、好きになれるか嫌いになってしまうかに依存することになる。いや、そうではない。
良いか悪いか、と、好悪は別のことだが、良いことをする人は好きになりやすいし、悪いことをする人は嫌いになりやすい。Aさんのことは好きだから、Aさんは良いことをしている、のかもしれない。Aさんは悪いことをしているように思えるが、それは実は誤解、もしくは間違いで、感情のレベルではそれを感じているから好きになるのだ、ということであって、あくまで良い悪いと好き嫌いは別、ましてや良い悪いが好き嫌いに依存していると考えているわけではない。
これはおかしいか?