日記

悪口を言っているときは怒ってはいない。怒っているときもあるかもしれないが、怒らなくても悪口は言える。むしろ怒っていない時のほうが悪口が発生しやすい。悪口を言っているときは笑っていることが多いのではないか。
悪口に対する批判は、たいていの場合、怒りとともに行われる。
笑いながら言われる悪口は最悪である。悪口自体が良くないことだし、それを、本人がいないところで、反論される機会も考慮されず一方的に、しかも笑いながら言うなんて、最悪以外のなにものでもない。
だから悪口に対しては容易に怒れる。悪口はどう考えても絶対的に悪い。悪いに決まっているのでためらわずに怒ることができる。
悪口に対する悪口(=悪口に対する批判)の足元がおぼつかないのは、だいたいこういうところにある。
だからと言って、悪口を言うことが良いわけではない。せめて悪口は、笑いながら言うのではなく、反論の機会を考慮に入れながら冷静に言うべきだろう。笑いながら言われる悪口は、その根拠が、言われる場にしかない。反感をもたれやすい、怒りを発生させやすい、脆弱なものである。場の誰かが反感を持ち、それを表明すると、とたんに弱くなってしまう。悪口はもっと真面目に言われるべきだ。言われるべき、ではないですけれども。
怒りを誘発しやすいという意味で、悪口は、人の弱点や卑怯さに対する最良の餌となるわけですが、怒り(卑怯さ)も、もちろん否定されるべきものではないのだから、卑怯という、価値を含んだ呼び方はよくないかもしれない。
怒りは卑怯なもの、というよりは、怒りは、後先考えずに発動しても問題ないと思えるときにのみ弱者に対し意志的に発動される能動的感情、のように言うべきでしょうか。