日記

読もうとすればなんでも読めてしまう(見てしまう)のかもしれないが、ちゃんと読めないから何度も読むということは大切で、となると、読める本の数は限られてくるから、自分が何を選んで読むかということが大切になる。選ぶ前になんでも読むという姿勢は大切だけれども、読める本は本当に限られている。全部読めるわけではない、すべての知識を得られるわけではない、すべてについて考えられるわけではない、のだから選択は重要。ほんとうに大事なのはここからで、では何がその選択を正当化するのか、ということになり、それはいまの自分以外ではない。誰かに強制されたのだとしても、そういう環境で育ちそういう環境にいたからだとしても、自分では納得できないが何かを信奉しているからだとしても、そういうことを含めていまこれから何をするのかを正当化できるのは自分でしかない。これは誰でもそうなのだから、結局は、誰かのせいかもしれないし環境のせいかもしれないし自分のせいかもしれない。そういうことを含めて与えられた環境の中で最大限努力したり、自分の身の丈にあった快適さを重視したり、色々なやり方が考えられる。結局は、結局は、という納得は信用できないとは思いますが、結局は、いまの自分に対する納得力が大事だということだろうか。精一杯努力したとしても納得できない場合もあるだろう、ということは精一杯努力した後で初めて言えることであって、こういう言い方と、結局で考えてしまうことは通じているということか。