日記

幼い子を持つ母親の母性、母は強し、母性の聖性、幼い子を持つ家族の幼い子を思う気持ち、こういうものこそが差別の温床である、ということを、私は身を持って実感してきたのですが、世間ではそう思われていないような気がするし、世間だけでなく、実際にもそうであるような気がする。ということはつまり、差別なのではなく、私は本当に、幼い子に近づいてはならない存在なのだろうか、そうではないにしても、そう思われても仕方がない外見をしているのだろうか。しているのだろうか、ではなく、しているに決まっている。しているからこそそう思っているような動きをされたのだし、そういう外見をしていなければ、そういう動きをされないからである。