身体の特徴について言う

私の胸の真ん中、みぞおちの上あたりに大きなあざがあり、右わきの下から右腕のひじの辺りまでつながっている。そのあざによく似た薄いしみのようなものが全身にあり、ほくろも多い。とはいっても他の人にとっては私に言われなければ気づかないほどの、誰にでもあるような、特徴とも言えない特徴なのかもしれない。
中学生のころ、その胸のあざについて「びわ湖」と言って笑われたことがある。確かに形が少し似ており、私は単純に、率直に、「おもしろい!」と思いました。
私は自分の身体にあるしみやほくろについて、まったくコンプレックス、のようなものがなく、それどころかその特徴を特徴として考えたことが、今に至るまでありません。指には爪があり、手や腕や脚には関節がある、のと同じ程度にしか、それらについて考えてきませんでした。
びわ湖」と言われたこと、胸のしみを「びわ湖」と言って、おもしろいこととして笑うこと、は単純に、おもしろセンスのあるおもしろいこととして笑えたので、当時も笑ったし、そのことを思うと、いまお、自虐でも苦笑でもなんでもなく、率直に、おもしろい気持ちになります。
だからなのかどうか、「だからなのかどうか」と言うことが適切なのかどうかわかりませんが、私は、人の(他人の)身体的特徴を笑うことが、それほど悪いこととは思えません。
高校のとき、耳の悪い知り合いがクラスにいたので、記憶力がなく英語が大の苦手な私でも、「耳が遠い」という英語の言い回し「hard of hearing」は一発で覚え、その知り合いの前で言いまくっていたら、仲が良かった知り合いに「お前よくそんなひどいこと言えるな(笑)」と言われ、キョトンとしたことがあります。
 
「他人の身体的特徴を笑うことはいけないことだ」ということは覚えてはいるので、いまは言わないようにしていますが(それでもおもしろがってしまうことがよくある、ような気がします)、どういう意味で言ってはいけないのかがいまいち感得できていないので、言っても良い場合はあるか、どういう場合なら例外的に言っても良いか、自分のことなら笑っても良いか、他人が言ったとき一緒に笑っても良いか、流すべきか、とがめるべきか、など、このことにまつわる状況に置かれた場合、確信して応用的な行動を取ることができません。
このように、「他人の身体的特徴を笑うこと」だけでなく、他の様々な場合にも、やってよいのかどうかわからない、ということがよくありますが、それは私だけでなく、多かれ少なかれ人にはこういうことがある、ということでしょう。人生経験が必要なのは、こういう部分なのでしょう。と思います。
ほとんどの場合、「わからない」ということは、自慢できることでもウリになるようなことでもありません。できないことはできないだけ、能力が低いだけ、未熟なだけ、のことです。できないことを落ちに使っても、できないことを言っていること以上のことにはなりません。