夢の効用

夢は寝ているときに見るものです。駿河学さんは「夢にいろんな人でてきますやろ、出てきて色々言いますやろ、あれ誰なん? 自分の夢やから、あれは自分の中、あれは自分でっか?」と訊き、それに対し横山パンチ氏は「そうやな自分やな」と言いました。自分で作ったものを自分が見るわけだから何の発展も成果もない、といちおうは言えるかもしれません。しかし、夢というのは、確実に自分に影響を与える体験をもたらすものなのです。少なくとも私にとっては、大きな実感を伴った得難い体験をもたらすものとしての夢を見たことが覚えているだけでも過去に数回以上あり(この日記にも以前書きました)、覚えていない分を含めると相当な数になるのではないか、と思われます。ひどく落ち込み絶望にとらわれた時でも、何気ない話を他人とするだけで救われる、という体験をした方は少なくないと思いますが、ということも以前書きましたが、まったく希望の見えない絶望とともに眠りについた日でも(そんな日はありませんが)まったく状況が変わっていないのに朝目が覚めるとなにかうきうきしているような気持ちになっていることがあり、これは絶対おかしい、寝たら忘れるとかそういう次元の問題ではない、と思い、よくよく考えてみると、夢で他人と馬鹿馬鹿しい会話をして笑い合っていた、ことを思い出しました。自分で自分を元気付ける、自分で自分と会話する(おかしくない)、という私の目標が一部実現されているのではないか、と思わず顔がほころびます。夢は自分?が作り出す?ものなのに、どうして他人感があるのでしょうか。それを言うならこの日記の文章だって手を動かしキーボードで叩かれた瞬間にすでに他人感がしないか?ということも以前書きましたが、どうでしょうか。日記を書けば会話の代わりになるでしょうか。ならない。代わりではないものにはなる。