日記

「「円周率に「770」という数字が出てくるかどうかは、それを我々が計算によって知る前に決まっている。つまり、出てくるか、こないか、のどちらかである」という考えは、「シャーロック・ホームズには妹がいるかいないかは、我々がそれを知るかどうかにかからわず決まっている」という考えと同様に誤っている」について。


「770」が出てくれば「出てくる」に確定する。出てこない場合は「出てこない」と確定するわけにはいかない。「出てこないことが確定した」と書いたあと、まあちょっとやってみるかな、と思い計算してみたら、出てくるかもしれないからです。でも出なかった、やっぱり出ないんだ、と思い「出てこないことが確定した」と書いたあと、いややっぱりもう寝るけどあと1桁やってみようと思いやったら出るかもしれない。でも出なかった…… のようなことを繰り返しても「出ないこと」は確定しない。しかしいずれにせよ、出るか、出ないか、のどちらかであることは間違いないのではないか、とこの時点になってもまだ言えるだろうか。たしかにどこか怪しい影が忍び寄ってくる感はある。だからといってホームズの妹と同じだと言えるだろうか。ホームズは創作された人物であり、妹はいるかいないかのどちらかである、と考えることは的外れだと言える。円周率は創作ではない。人間が勝手に「770」をどこかに付け加えたり、何桁目かに「770」が出てくるのを阻止したりすることはできない。では、やはり出てくるかこないかのどちらかだ、と言えるのだろうか。


・出てくる必然性・出てこない必然性・出てくるか出てこないかの必然性
・「AかAでないかのどちらかである」から「Aであることは必然的であるかAでないことは必然的である」への「錬金術」と「Aであることは必然的であるかAであることは必然的でない」について
・円周率のすべてを知っている神、の想定
(『ウィ林トゲンシュタインの夢』より)