日記

規準の絶対性について
規準は絶対だと思えますが、それは、規準を満たせば絶対に疑えない、とか、もっと適切な場合はない、とか、一意に決定する、ということではなくて、規準自体は、わりと茫漠としていても問題ないと思います。どう考えても怒っているように見える(規準を満たす)から間違いなく絶対怒っていると思っていたが、20年後に怒っていなかったことがわかった、としたら、20年後に、怒りの規準を満たしていないことがわかった、というだけのことで、規準の絶対性が崩れたわけではない。20年後であろうと、怒っていなかったことがわかるのはどうしてか、というと、規準を満たすかどうかでしか判断(決定)できないのであり、脳内の状況と照らし合わせたから怒っていないことがわかった、と絶対的に言えるわけではありません。怒ったふりであれ、怒ったように見える間違えであれ、それが、怒ったふりであったり怒ったように見えたりするしかない(永井「入門」より)、ということが、規準の絶対性ということではないか、と思います。