日記

小平がとても良いところだった。引っ越ししたい。
いまずっと読んでいる『ウ言論世』があまりにもつらいので、確かに自分の頭の悪さには自信がありましたが、自分で思っているよりも自分はかなり頭が悪いのではないか?と思えてきたので、読んでいてもうちょっと幸せを感じられるような本を読むべきではないか(※後で)と思い始めていたのですが、永井さんも『ウ入門』で参考文献としてあげているほど重要な本でもある『ウとデ』を、歯医者のあと小平まで時間があったので新宿の本屋で見て小平に行く途中は『LOST MAN 10』読み小平ではイベントが始まるまでの間『ウとデ』を読んでいたのですが、そのそっけない外見とは異なり読んでも意味がわかるので感動しました。やさしくはないのですが微妙なことが詳しく書かれているのに一度読んだだけで意味がわかるというのはこんなにうれしいものなんかと感動しました。『ウ言論世』は詳細に詳しく書かれているのに、まったくわからないという恐ろしい緊張状態そして眠気へと私を誘い毎日毎日消耗してしまうばかりですべてのことに自身がなくなりこの先この本やウの本を読んでいくことにまったく自信がなくなってきていたのですが『ウとデ』を読んで少し自分みたいな者でも読んでもいいのかな、と思うようになりました。それがいいことなのかどうか、というと、良くないことなのかもしれません。

それがどんなに難しくても読みたいのなら読めばいいし、理解できないのなら理解できるまで読めばいいし、理解できないまま死ぬとしても、だから読むのをやめるというものでもないだろう、とは思いますが、たとえば100mを9秒台で走ることを目標にしても絶対100mを9秒台で走ることができない人というのは存在するし、というより全人類のほとんどはいくら努力しても100mを9秒台で走ることはできないのだから、100mを9秒台で走るという目標で努力するがまったくそれが達成できないことについて日々思い悩むのだとすれば100mを9秒台で走るという目標設定が誤っているのではないか、それともその努力の過程を重視すべきか。人にはその能力によってできることできないことがある、と聞くと当たり前だと思いそうになりますが、その能力によってできるまさにそのことを人はみんな行っている、と考えると、恐ろしい気持ちにならないでしょうか。生まれてきてよかった、とはあまり思えません。幸せを感じることができれば勝ちだ、とは思えるかもしれませんが。