批判について

批判は批判される側にとってほとんどの場合的を外している(全く本質的でない)が、批判することは批判する側にとって的を得ているので、批判自体が無意義であるわけではない。
対象にかかわるような批判のやり方(対象の本質を失わないような批判のやり方)があるとすれば、批判対象を直接批判せず、対象のやりかた、その本質、その本質が目指すところそのものにしたがって話を進め、そうすることによってまさにうまくいかなくなることがある、ということを示し、対象の批判に代える、というようなやり方になるでしょうか。ただこのやり方も、そこまでするのはやっぱり本質を外している、ということになってしまいます。最初から批判するつもりでする批判は、どうやっても的を外してしまうものであり、本当に有効な批判をすることは、同じ考えをもつ仲間が、本質を究めた結果たまたまたどり着いたうまくいかない事態を理解しあうこと、によってしかできないのかもしれません。
一方、的を外しているし、こちらの真意など全くお構い無しだし、一部しか理解していないし、はやとちりだし、誤解しているし、もっと勉強をしてから言えよといいたくなる、しかし、まさにそういうものだからこそ真の批判となりうる、という考え方もあり、こっちはこっちでとても立派であり、いろいろな人や自分に宣伝すべき正しい考えのように思えます。
私は下のような考え方を、syuukyouやgijikagakuについて考えていた(考えるフリをしていた)とき、鼻息を荒くしてありがたがっていたような記憶がありますが、最近は完全に上のような考えになってしまいました。下から上へは、考えを深める(=妄想にまどろむ)なかで次第に変化していったのですが、ちょうど引きこ森と老化進行が速くなった時期と重なっており、単に衰えただけ、他人に触れる精神力がなくなり他人が恐ろしくなっただけ、なのだとおもいます。