おもしろい映画・おもしろくない映画

新しい映画特野攻郎Aチームがおもしろくなかったことに深く落胆した。おもしろそうだったから余計残念に思いました。逆に、おもしろくなさそうだなぁと思って見た映画がおもしろかったことがある。興味深いとか考えさせられるという価値も大事な価値だけれども、夢中になって時を断つのも忘れて引き込まれる、というおもしろさも大事で、Aチームにはそれを求めていたし、Aチームには笑いもたくさんありそうだったのに、そうでなかった。
見たあとで、おもしろくない映画をおもしろくないと言い、おもしろい映画をおもしろいと言うことはできるが、それはあとだしというか、むなしい。見る前にはおもしろいかどうかわからない。だから見るしかない。見る前にわかるようになりたいかというとなりたいですがそれが目標ではない。おもしろいおもしろくないの法則がわかれば満足、というわけでもないと思う。見る前におもしろくないとわかっても、見ないでいると、もしかしたら、という気持ちになってしまわないだろうか。
なぜこの映画はおもしろいのか、この映画はおもしろくないのか、で目を開かせられた経験が一度だけあります。あるときオールナイトで映画を4本見たのですが、4本のうち2本が『黒s蜥s蜴』で、ひとつは井上さんのでもうひとつは深作さんの(井上さんのの6年後に公開)でした。内容はほとんど同じ(というか全く同じと言ってもいい)なのに、一方はとてもおもしろく、一方はつまらなかったです。つまらないほうの映画には珍妙さもありそれなりにおもしろがれはするのですが(えらそうにすみません……)そんな小さな良さも無視したくなるくらいつまらなかったです。わざとおもしろくならないようにしている、別の狙いがあってここはつまらなくなった、のではないかとすら思える出来でした。
たとえば、深作版では、明智小五郎がうまく守れたのかどうか、それともまた出し抜かれたのか、明智とともに映画を見ている観客が緊張して見守らなければならない場面があるのですが、同じ場面を井上版では、明智が騙されていることをすぐに見せてしまいます。観客はなんだ明智はあっさり騙されたなと思いながら明智がいつ気付くのかただ見守るだけになってしまうわけで、この間の緊張度が全然違う。深作版ではワクワクしながら見ているのに、井上版ではこの間、物語進行を見るのがただの作業になってしまっているわけです(作業差別をしてすみません)。
この2本を見て、映画のおもしろいおもしろくない法則に一歩近づけた、とは思いませんでしたが、そういう面はあり、興味深かったです。これは以前に2回ほど書きました。