「私が見ている赤い色は、他の人なら青いと感じる色かもしれない。私は、他の人なら青いと感じる色を見て、赤いと言っているのかもしれない。もしそうなら、私を含め誰もそのことに気づくことができない。」について3

私は赤い色を見て青いと感じ「これは赤い」と言う。青い色を見て(たとえば)赤いと感じ「これは青い」と言う。

  • 「私が見てかわいいと感じるものは、他の人なら醜いと感じるかもしれない。私は、他の人なら醜いと感じるものを見て、かわいいと言っているのかもしれない。もしそうなら、私を含め誰もそのことに気づくことができない。」
  • 「私が見て長いと感じるものは、他の人なら短いと感じるかもしれない。私は、他の人なら短いと感じるものを見て、長いと言っているのかもしれない。もしそうなら、私を含め誰もそのことに気づくことができない。」
  • 「私が見て明るいと感じるものは、他の人なら暗いと感じるかもしれない。私は、他の人なら暗いと感じるものを見て、明るいと言っているのかもしれない。もしそうなら、私を含め誰もそのことに気づくことができない。」


上の3例を考えると、色という性質は、他のどの性質とも異なった、独特の性質なのではないか、と思えてくる。もちろん独特なのは、色だけでなく他の性質でもそれぞれ言えるかもしれないが、それでも、色は突出しているように思える。
かわいい醜いは価値判断を含んでおり、入れ替えても成り立つような性質ではない。長い短いは価値判断を含まないが、入れ替えても成り立つような性質ではない。明るい暗いは、色に近い「感覚与件」だが、入れ替えても成り立つような性質ではない。色だけが上の例でリアリティをもつ。
では、色も、入れ替えても成り立つような性質ではない部分を強調して考えればどうか。たとえば青色は暗く寒い感じがする。赤色は激しく熱く辛く食欲が増す感じがする。そのことに意識を集中して上の例文を心の中で言ってみると、それでもリアリティを持つだろうか。

  • 「私が痒いと感じる感じは、他の人なら痛いと感じるかもしれない。私は、他の人なら痛いと感じる感じを感じて、痒いと言っているのかもしれない。もしそうなら、私を含め誰もそのことに気づくことができない。」
  • 「私が怒りだと感じる感情は、他の人なら悲しいと感じる感情かもしれない。私は、他の人なら悲しいと感じる感情を感じて、怒っているのかもしれない。もしそうなら、私を含め誰もそのことに気づくことができない。」