怒りの原因は怒りやすさにあるのではなくて怒るような状況にある、のか?

怒るような状況が起こったときに、怒るか怒らないかが問題なのではなく、怒るような状況に身をおかないことが大事、と言えるとは思いますが、だとすれば「短気」(にならないようにしよう)ということが無意味になるのではないか、と思います。「短気」(にならないようにしよう)と思うことには意味があると思うので、怒るような状況が起こったときの怒るか怒らないかにも考える意義はあると思います。
とはいえ、怒りやすい状況が頻繁にある中で、怒らないようにする方法を考えるよりは、まず怒ってしまうような状況に身をおかないことを心がけることは十分意味があることだと思います。剣を交えて戦うような状況になってしまうことがもう既にピンチであって、戦わざるを得ない状況に陥らないようにすることが大事、というようなことを宮本武蔵が言っていたと内田さんが言っていたような記憶があるのですが、それとおなじようなことかもしれない、とおもいます。
怒るような状況に身をおかないことと、怒ってしまいそうな状況で怒らないことは、明確に異なる二つの事態ですから、一方に対処すればもう一方に対処する必要はない、わけではないと思います。ただ、優先順位の違い、どちらを重視すべきかの差、はある、ということでしょうか。


なぜ怒ることがいけないか、というと、怒った結果、自分が良い状況になることがあまり無いから、という判断によります。つまり、怒ったほうが良いと判断できる場合は怒ったほうが良いということになります。
ただ、普通はよほどの事が起こっても怒ることに躊躇してしまうものなのですが、それでも怒ってしまうときというのは、怒ったほうが良いという判断が激烈に強くなっているからこそ怒ることが可能である、という部分が大きく、怒ってしまいそうなときに、冷静に、「いまは怒ったほうが良いのだから怒るべきだ/いまは怒らないほうが良いから怒らないでおくべきだ」という判断を下すのは難しいので、とりあえず怒らないでおく(怒ったときにはもう怒っているので怒らないことは不可能というかとき既に遅しですので、「怒らないでおく」、とは、怒りを露にしないでおく、程度の意味です)ということは重要だと思います。そうすると、「あの時怒っておけばよかった!」ということになってしまうこともあるかと思いますが、「あの時怒っておけばよかった!」という悔しさより「あの時怒らなければ良かった……」という後悔の方がずっと大きいと思われますので、これでよいのではないか? と思うかというと、悔しさと後悔は別のものなので、そう思うわけでもないです。