英米系とフランス系

英米系の哲学が、「少なくともこうは言える」という最低限のことだけ言おうとするのに対して、
フランス系の哲学は、「もしかしたらこうも言えるのではないか」と最大限言えるかもしれないことを言おうとしている、
という違いがあると思います。
この違いは、ひじょうに大きいと思います。
英米系の人がフランス系の人の言っていることを読めば、何を根拠にそんなことまでいえるのか?と思うでしょうし、逆に、フランス系の人が英米系の哲学を読めば、なんでそんな微細でで瑣末な範囲のことしか言わないんだ?と思うでしょう。

「何を根拠にそんなことまでいえるのか?」と思うことがよくあるので、そういうときは「「もしかしたらこうも言えるのではないか」と最大限言えるかもしれないことを言おうとしている」と思えばいいのか、と思いました。
そういえば、は林す實さんが、受験予備校の特徴として、「あそこは、最低限これだけは言える、ということを教えるところだ」のようなことを批判的に言っていたような記憶があり、そのときはなるほどと思っていたのですが、ウを読むようになって、いつのまにか「少なくともこうは言える」という考え方に慣れきってしまうだけではなく「「もしかしたらこうも言えるのではないか」と最大限言えるかもしれないことを言おうとしている」考え方をだめと決め付けてしまっていたことに、今回気付かされたように思いました。
永林井さんのmixiは永林井さんの草稿が誰でも読めるのでよいとおもいます。