日記

流れの中でつい言ってしまう事実と反すること、というのがあり、3/31だと「なりたい状況などはなくなりました」がそれにあたる。なりたい状況はあるに決まっている。決まっているかどうかわかりませんが、あります。でもないと書いてしまう。ないと書かずにふみとどまる運動神経を持ちたい。

  • 1.「事実と反する」と書きましたが、事実どおりのことと事実に反することというのははっきり決まるわけではない。ではこの場合の事実に対する反し方は、どのような意味で認められないのか。認められる事実の反し方はあるのか。事実には反するという仕方で触れないようにすべきということか。
  • 2.踏みとどまるという運動神経もあれば事実に反しがちな慣れに反して流れに沿うという運動神経もあるが、なぜ踏みとどまるほうを選択するのか。
  • 3.ふみとどまる運動神経は、運動神経ではない。この踏みとどまり方を運動神経でたとえるということは、流れにそってつい事実に反したことを書いてしまうことを運動(慣性の法則)になぞらえたということだと思われるが、日記にも流れに逆らいがたいものとしての慣性はあるのか。