不幸の本質

不幸の本質とは何か。「不幸の本質とは何か」とはどういうことか。
たとえば、「お金がなくても不幸ではない」という文は可能な状態を表している。
「友達がいなくても不幸ではない」という文も可能な状態を表している。
「不治の病気にかかっているが不幸ではない」という文も可能な状態を表している。
では、「○○であっても不幸ではない」という状態が不可能だということはあるだろうか。
「○○」である場合は必ず不幸である、「○○」なのに不幸ではない、というのはそもそも意味をなさない、そのような「○○」が、不幸の本質と言えるのではないだろうか。
そして、そのような「○○」は存在するだろうか。


とりあえずは、長期間継続して身体的精神的苦痛が続きその間に得られる幸福が相対的に小さい状態、が不幸の本質、とは言えるのではないかと思う。長期間継続して身体的精神的苦痛が続きその間に得られる幸福が相対的に小さい状態が続いてもこの苦痛を原因としてその先に必ず大きな幸福もしくは達成が見込める場合は幸福である場合もあるが、その場合、苦痛を得ている状態が幸福が小さな状態と言えるかとなると難しいと思う。