日記

永井均小泉義之『なぜ人を殺してはいけないのか』(文庫版。文庫版追加章あり)眺了。
かみ合ってないとか永井氏が圧勝とかいう意見がありました。私も単行本のときは小泉さんがなぜこんなことを書いているかよくわからない派(派)だったのですが、いま読んで見ると、おふたりの会話は予想より全然かみ合っているように思えました。
永井さんの部分は、真正面からこの問いに向かいクリアでまっとうで読んでいて面白いし考えを突き詰めていけそうに思えます。でもこれは、永井的問題意識(「<私>」)に乗せられる人に対しては有効だろうけど、単独で「(人殺しはゼッタイダメ!みたいに言うけどさぁ)なぜ人を殺してはいけないのか」と感じる人に対して有効(有用)かとなると、難しいように思います。あと、小泉さんが何を言っているかわからなかったと言い過ぎで、哲学者としては正しい態度だとは思いますが、「わからない」ではなく「そんな意見はこの問題とは全く関係ない」と言えばよかったのではないかと思えてしまいます。なぜなら、もし関係があるのなら、仮にわからなくても「わからない」とだけ言って済ますことはできないのではないかと思うからです。邪推ならすみません。正面派の永井さんに対して、小泉さんは「なぜ人を殺してはいけないのか」と言える状況が成り立つに至る過程を執拗に追いかけているように読めるのですが、この過程すべてが、「「なぜ人を殺してはいけないのか」と言ってしまう人に対する批判」として読めてしまうので、「こういう問い自体品がない」と言った大江さんを批判した永井さんに小泉さんは賛同していましたが小泉さんがやっていることは大江さんと同じだと思えます。また、「なぜ人を殺してはいけないのか」と思えてしまうに至る過程を「暴き出す」ことも大変有用だろうとは思いますが、小泉さんの意見は「なぜ人を殺してはいけないのか」と思えてしまうに至る過程を執拗に追いかけ暴き出すことをテーマにした小説のようになっており、読んでいると、テーマとはあまり関係なさそうな、道端に転がっていた石の描写に思わず立ち止まってしまう(そんな描写はないですが)といったことが起こってしまい、私は自分が何について考えていたかわからなくなります。永井さんのように「なぜ人を殺してはいけないのか」という疑問を正面から受け止め(とはいってもニーチェに偏っていますが)できるだけクリアに議論を進めていくのを読んでしまうと、「ちょっと何言ってるのかわからない」となってしまうような気はします。
単行本時もそうだったのですが、『なぜ人を殺してはいけないのか』と『道徳は復讐である』はあまり再読したくなるような本ではなかったです。永井ーニより、永井ーウのラインのほうが面白いように思います。「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という問いは「りんごはりんごを意味するとは言えない」のように(?)面白いですが、基本的に永井ー道徳ライン(あるいは価値(がないこと)に関する問題)は、ものすごくマニアックに思えて、ちょっとついていくのが難しいです。