日記

中学生のころ、初めて文庫本の推理小説を読み、とてもおもしろいと思いました。毎晩枕もとの電気をつけ、文庫を何ページか読むことが、そのころの私にとって一番の娯楽でした。そのときは、ただ本を読みたい、本(を読むの)はおもしろい、楽しい本を読みたい、という気持ちしかなく、その本を読んだ感想を誰に話そうとか、この本がおもしろいよということを誰かに知らせようとか、この本をおもしろいと言っていた誰かと話をしようとか、この本を読むことによって私に新たな知識や考えが備わりまた新たな楽しみを見つけていくだろうとか、そういうことを一切考えず(たぶん本当に一切考えず)、小説(物語)を読む楽しさだけを求めて本を読んでいたように思います。この状態をAとします。ブログに読んだ本の感想を書く状態をBとします。ここまではこの日記に書いていますからBです。ここまでをふまえて以下の引用を読みます。

会が始まる直前になって、マルコムが廊下の向こうからやってきた。かれの腕には、ジャンパーに軍隊ズボンという姿の小柄な老人がもたれかかっていた。(中略)司会をしていたブラックが立ち上がり、右を向いた。誰もが驚いたことに、彼は明らかに、マルコムが連れてきたみすぼらしい老人に話しかけようとしていた。あっと言わせるような言葉がそれに続いた。「いかがでしょうか、ウィトゲンシュタイン教授……」とブラックは言った。ブラックが「ウィトゲンシュタイン」と言ったとたん、その場に集まっていた学生のすべてがはっと息を呑む声が聞こえた。……それは、「いかがでしょうか、プラトン」とブラックが言ったとしたら聞こえたはずの声とまったく同じだった。


飯田隆ウィトゲンシュタイン 言語の限界』講談社