日記

  • 『扉をたたく人』(2007年 アメリカ)新文芸坐 ポイント使用 0円
  • 『湖のほとりで』(2007年 イタリア)新文芸坐 ポイント使用 0円

目黒シネマで『ゆれる』を上映していることを知り見に行こうと思ったのですが『ゆれる』も『ディアドクター』ももう見た(「もう見た」と言えるほど見ていませんが)し『ディアドクター』はあまり楽しめなかったし(それでも相当楽しめますが)一度見た『ゆれる』を見てまた泣いて気持ちよくなりたいという気持ちはだめな気持ちなのではないか?と思い、少なくともそれよりは見たことのない映画を見るべきだろう、ということで文芸坐に行ったのですが、年末も年末の12月30日今年最後の映画になるかもしれない映画でカティンの森を越える今年最悪の2本になってしまいました。嫌な映画を見ていると、何のために生きているのかわからなくなり、生きている希望を失わせられるような気持ちになります。実はそれほど最悪ではないですが、こんなことがあると、知らない映画をふらっと見に行っていい映画に出会う、そんなことなどないのだ! 古典名画・有名映画・有名監督映画・お勉強映画だけ見に行くべきだ! と思わせられてしまいます。『母なる証明』と『脳内ニューヨーク』をやっていたときにシネマライズに行けばよかったとかそんなことばかり考えていしまいました。
逆に、どういう映画がいい映画なのか。いい映画が成立するのは、いい映画を見ているときは簡単そうに思えるけれど、嫌な映画を見ると、いい映画の成立はとてつもなく難しく思えてきます。
しばらく映画が見られないかもしれない日が続くかもしれないので、明日は、一度見た映画であろうが、あまり気が進まない映画であろうが、泣いて気持ちよくなりたいためだけに見る映画であろうが、駿河学さんが出ているから見に行くという理由であろうが、見てもそれほど嫌な気持ちにはならない映画だとわかっている映画を、無理してでも見に行くべきかもしれません。



『湖のほとりで』
いまのイタリアの話なのに、なのに、というわけでもないかもしれませんが、出てくる住宅街が日本の住宅街に少し似ていた。


『扉をたたく人』
冒頭のカットから嫌な予感がする。予感ではなくて、なぜ最初にこれを見るのか、全く無意味なものを見ているような気になる。ピアノとジャンベの教わり方の違いが生む緊張感、両音楽教師の顔の違いなど、映画には無数の技法があるのだなぁ、と思わせられもするのですが、母親登場後、映画が一気にガチガチ(出会い、別れ、デート……。お金はどこから?……)になる。なぜなのでしょうか? 先生がジャンベをたたく場面の全てがそれほど楽しくもないし感心もできない、というのも大きいと思います。