思い出し

たとえばりんごが赤色に見えるのは、りんごを構成している分子や原子の性質によるのであり、分子や原子が赤い色をしているからりんごが赤色に見えるわけではない、わけです。りんごを構成している物体が赤いからりんごが赤く見える、と言うことも可能ですが、それで解決になったとは普通は考えません。りんごを構成している物体が赤いからりんごが赤く見えるのなら、りんごを構成している物体が赤いのはどのような仕組みによるのかについて説明しなければならないことになります。りんごを構成している物体が赤いその仕組み自体は、もう赤くない、のであり、その仕組みは、赤くないことこそが本質的、なわけです。つまり素粒子も、そのように理解されるべきであって、位置と速度が同時にわからないのがどうこう、とか、粒子のようでありながら波のようでもありどうこう、とかいうのが不思議ダナァ……、ではなくて、位置とか速度とか大きさとか、そういった、机やきのこのような普通の物体にある性質を持っていないことこそが本質的、つまり、「素粒子は絵に描けないことこそが本質的である」、のだそうです。


http://d.hatena.ne.jp/zhqh/20070920/p1