日記

なぜか単調さを感じてしまったので昨日の『臨死』や今までに見たワイズマンの映画を思い出していました。「発言」と「会話」は違うものだということだろうか。単調だと感じてしまいかねない「発言」の多い前中半に比べ、ラストの被害者と加害者の一進一退の攻防*1には決して一筋縄にはいかないという緊張感がありました。こういうのをまってたんですよ!と思ってしまい、自分の狭い好みを思い知らされたような気分になりました。しかし『臨死』が「発言」ではなく「会話」だったのかというと、そうでもなかったような気もします。双方向的会話ではないが、一方向に方向付けられない緊張感と現場の必死さがあった、ということでしょうか。『DV』には、まず被害者に安定した力をつけなければならない、という方向付けが、単調さを生んでしまった(これを「単調」と考えてしまうところに私の「弱さ」の原因があるように思いますが)、のかもしれないが、それなら、そのような方向付けを成り立たせる、いろいろなもの、が見えると思うのですが、それを意識する前にラストのわかりやすい臨場感に気持ちを全部持っていかれた感じです。あと、なんとなくですが、ワイズマンのさんの映画は、そういう種類の映画ではないような気がしますが、じつは容姿センサーが働いている、ような気が少ししました。

*1:おもしろがってすみません……。