日記

つまり、「おもしろい!」と思うことを原点にしようとする考えが怪しい。むしろつまらない、退屈だ、勉強する気にならないと見る気にならない、眠くなる、という自分の評価感覚は、否定的材料にはならないどころか、積極的な肯定材料となる可能性もある。この場合、では、良いとはどういうことなのか、がよりいっそう重要となる。


フレデリック・ワイズマンの映画をとてつもなくおもしろいと感じてしまう最大の要因は、もちろん(としか言いようがないですが)会話です。
フレデリック・ワイズマンの映画では、会話が本当に面白い。『臨死』の6時間があっというまに経ってしまうことは、濃密な会話の存在が、その原因のうちに何割かを占めると思われます。『鉄西区』もかなりおもしろい映画だったという記憶がありますが、それでも少し意識が飛んでしまう瞬間がありました。なかったかもしれません。映画的知能に乏しいのかどうか、私は、『気狂いピエロ』で林の中で歌いながら木の上に乗ったりしている場面では、毎回少し寝てしまうような記憶があります。それに比べ、ワイズマンの映画の会話はとても楽しく眠くなる暇がありません。となると、もしワイズマンの映画が無声映画だったら寝てしまうか、となるのですが、それはそれでまた違うような気もします。