日記

2日に中野で文5月号の鼎談を読み直す。カロリー軒さんの「いいかげん」の話(コメント欄も)と同じようなことが触れられている。適当な画面が多いがそれでも最終的には納得させる力がグ・トにはある、ということですが、これではますますわからなくなる。結局いつもの、わかるひとにはわかる、という一番嫌な(それは避けるべきという主義。主義なら捨てればいいということかもしれませんが)流れになるのだろうか。お笑いをわかるように説明すれば笑えるようになるかというと隅々まですべて説明しきっても全然笑えるようにはならない(笑うというのはそういうことではない)のだから、説明というのは常に、わかるひとにわかるようにしかできない、ということなのか。もしくは、説明とは笑えない人が笑えるようになるようなものではそもそもない、ということか。映画とお笑いは全然違います。説明というのは常に、なぜ私はこんなに感動してしまったのだろう、なぜこれはこんなにおもしろいのだろう、ということの説明でしかない、ということだろうか。説明されてからおもしろくなかったことがおもしろくなるということも確実にあるから、それぞれだと思います。グ・トがよくわからなくて4川がわかる、というのは、結局映画を見ていないということのような気もする。画面と音と音楽と人と話を見ているだけで、moving picture(すみません……)としては見ていない、というような。という感想も、徹頭徹尾受け売りなので全然信用できないのですが。いろいろな人の感想を見ていると(またそれか、まだ他人が気になるのか、ということになりますが、ここで、いや実は他人が気になることが本質、という話にするのではなくて、程度問題でとどめておくということも考えておきます)以前の作品や他人の作品のある部分がここではこのように現れてきている、ということが大事なことのようです。以前の作品や他人の作品のある部分がここではこのように現れてきているということがおもしろい、ということは、説明されて初めてわかる種類のおもしろさではないような気はします。


  • 5/4 ワoールドダoウンタウン全22回
  • 5/2 昼夜「モoーニング娘。コンサートツアー2009 春 〜 プoラチナ 9 DISCO 〜」(中o野サンプoラザ)
    • かっこよかった。オープニングVもかっこよかった。
  • 4/30『ザ・ゴoキブリ』(83分)『野o獣都市』(88分)
    • おもしろかった……。