努力すること、がんばること、必死であることが、かっこわるいと判断されることに対する批判について

批判するも何もなぜ努力することがかっこ悪いのか全くわかりませんでした。がんばる=かっこ悪い、という文章を見れば、字面では理解できますが、実感を持って共感できなかった、正確にいうと、共感しようと思わなかった、そうする価値がない感情だと思っていたわけです。そんな感情は道徳的人間的に劣った感情なのだから、そういう感情を持ったり言ったりする人がいるとしても、ただ批判されるべき、教育されるべき対象としてのみ存在するにすぎない、とまでは思っていませんでしたが、そこまで意識しないにしても、ほぼそういうことを思っていたように思います。私は週刊少年マガジンのスポーツマンガが大好きです。ところが昨日、なんとなくいろいろ考えていたところ、ふと、必死であることがかっこわるいと感じられることについて、それなりの共感を持って感じることができる場合があることに気付きました。気付きました、などと思ってすみません……。必死さや努力にも質があり、質次第では、まったく賛成できないものもある、ということです。必死さや努力だけで100%ほめられるものではない。あたりまえのことかもしれませんが……。
ものすごく必死に仲間を助けようとしていたら、その行動をほめることができそうですが、その仲間がどういう仲間かというと、人殺し集団の仲間だとしたら、全然ほめることができません。人殺しであるということが必死さや努力より重要なものとなるわけです。努力自体必死さ自体では、その価値を支えられないわけです。しかし、イメージとしては、必死さや努力そのものに価値があるように思えます。私が努力イメージをいまだに好き過ぎなだけでしょうか。