日記


6時起きた。
25時前帰宅。
背中が痛い。


昼間、電気料金請求の郵便物が来ていると不動産屋から電話があった。取りに来てもらうか「ポスティングする」かどうするか、「でも、ポスティングは嫌でしょ?」と言われた。「ポスティングってなんでしょうか」と訊くと、ポストに入れることだ、と言われた。今忙しいので郵便物として届くのならありがたいので頼んだ。「ポスティング」ってなんだろうか。そういう用語があるのだろうか? それが「嫌」なのはどうしてなのだろうか? あとで、あの時ちゃんと訊いておけばよかったと思うことがいつもある。今の仕事でもある。電気については、すっかり手続きを済ませていたと思っていたのだが、月曜に、東京電力のお知らせが玄関のドアに挟まっていたのでまだだとわかった。今週火曜に手続きを済ませた。帰宅すると、前住所宛の郵便物、電話「利用休止のお知らせ」が郵便物転送のシール無しにポストに入っていた。しかも開封されている。あまりこういうことを考えたくはない。前部屋を1週間で出た経緯もあり、あまり不動産屋のことを考えたくはない。家は安心するものとして考えたい。家のために生きているのではないのだから。家のことで争ったり精神能力を使う暇があるのなら今は仕事のことを考えたいし今じゃなかったらウのことや映画のことやハロのことを考えたい。それでも、ここ最近だけで信じられないような無責任さを発揮する不動産屋に少なくとも3度出会っており、数十万円単位で損をしているので、郵便物開封くらい平気でしそうと思える自分の心は醜すぎる!!!!! 損をしたのは自分のせい!だから損じゃない!!確証がなければ疑ってはいけない!いや、確証があっても疑ってはいけない!いつも柔和な笑顔で!優しく!接する!んや!!!! 確証があるときは疑いじゃなくて事実の認識。
今週から毎日朝起きたときと夜寝る前に「論語」と「ブッダのことば」の文をひとつずつ読んでいません。怒ってはいけないと書いてあり、ありません。でも、怒ったらいけないのはなぜか、については書いてありません。書いてありまん。
怒ったときはもう怒っているのだからもう怒らないことはできない。怒っていないときは怒っていないのだから怒っていない。だから、怒るな、と命じても守るのは不可能かその命令は無意味かのどちらかではないだろうか。意味があるとしたら、「怒っても努力で怒らないようにする」ということが理解可能であるときだが、ということは、家にひとりでいるときは残忍な怒り想像でいっぱいにしたうえで、人前では怒らない、そういうことだろうか。