日記

8時起きた。
24時半帰宅。
『なぜ意識』少し。


「ねぎだくで」と言う人を久しぶりに見た。普通に「ねぎだくいっちょう〜」と応えるシステムもすごいなあとおもいます。それを言うなら「つゆだく」もそうですが……。お店の内容に注文できるシステムって凄いと思います。いつから、どのような経緯で慣習化したのだろうか。昔からあることなのだろうか。
帰りの電車でつかれきった父親と息子を見た。見た、などと思ってすみません……。息子は8歳くらいで、こっちを探るような目つきで睨んで目をそらさないので、負けた、と思ったのですが、よく見ると目を開けて寝ていた。3連休ということもあるし、大きなカバンを足の辺りに置いていたので、遊びに行った帰りだと思います。こんな時間になるなんて大変だなぁ、あした学校大丈夫かなぁ、と思いました。自分の息子だったら、学校休んでよいよ、と言うだろうか、学校で寝てもいいから行くだけは行って、と言うだろうか。私がこどものころは、学校というのは病気以外のときは問答無用で行かなければならないものだったが、今はそうでもない気がする。父親の計算違いでこんな時間になってしまったのだろうか。8歳だからといって、この時間は別に学校どうこう言うような時間ではないのだろうか。つかれきった父親と息子、父親は50代、息子は8歳くらい、3連休最終日の24時ごろ電車に揺られている、というところになんとなくわびしさを感じたのですが、父親の隣の人が席を立つと、その隣の女性を父親がポンポンと叩き、母親もそこにいることがわかったら、わびしさがだいぶ減った私の感覚の差別性を指摘してすみません……。父親が私を生んだ年齢を、今年、*歳上回ります。友達も恋人もいません。貯金もありません。保険も入っていません。