日記

6時起きた。
安売り100円パン(超熟ロール)、飲むヨーグルトプルーン、野菜ジュース、ビタミン剤。
昼間はいろいろ割り込み(割り込みではなく本筋)があって仕事をした気分にならない。休みの日に集中して自分の担当をこなしている(=遊んでいる)と仕事をした気分になる。
24時半帰宅。


『なぜ意識』少し。
わけあって『BoINARY HoACKS』少し。ものすごく久しぶりにプログラムの本を読んだ。


何が充実なのか、についての明確な基準が無い。常にある方向へ向けて方向付けされると、その方向をうまくやっていく方法を考え続けることになり、考えが鎮まってくる。生活全体が方向付けされ、無駄がなくなる。様々なことに触れるような豊かさがなくなり、貧しい生活になる。生活が単純になると、その中でやりくりしていくしかないから、否定しにくくなる。否定すると身動きが取れなくなる。少ないながらも今持っているものをどうにかして生かしていこうとすると、現状肯定的になる。どうにかしていこうという動因は、現状の肯定からは生まれないように思えるので、ここでいう現状肯定的とは、手の込んだ現実否定の一方法、ということだろうか?なぜ「バカにしてはいけない」と力んで言わざるを得なくなってしまうのかを考えると、現状肯定も考え物ではないか? たやすく自分をバカにし否定してしまえるほうが、力みのない自己肯定を実現している、と考えようとしたらたやすく考えることができてしまう。だからあまりこういうことになにか光明のようなものを感じたり感じなかったりするのも悪くはない、と思うときもたまになかったりあったりしません。