メモ

自己紹介について

「私の名前は福田花o音です」(ハoロプロエoッグオーディションより)
これは、自己紹介ではなく自分の名前の紹介ではないだろうか? 名前を言うことは自己紹介に含まれるが、自己紹介においては名前(だけ)を求められているわけではない。人は名前を知りたいのではなく、あなたを知りたいのです。
「私は福田花o音です」
これは自己紹介だが自分の名前しか言っていない。私=福田ということがわかっても、何もわからない。だから、名前だけを言うことが求められているときはぴったり来る。
「お前は前田憂作だな。ではお前は?」「私は福田花o音です」。
これはぴったり来る。ではこれはどうか。
「お前は前田憂作だな。ではお前は?」「私の名前は福田花o音です」。
これはまだ「名前」が違和感を残す。確かに名前を訊かれているのだが、単刀直入に名前だけ言えばいいところで、わざわざ「私の名前は」と言ってしまうところに、なにか抗議を含んだ自己主張のような、含みを感じる。それなら、名前を特に強調してそれだけを言えばいいときならぴったり来るのか。
「お前の名前は?」「前田憂作です」「お前は?」「私の名前は福田花o音です」。
これならいいか?
「私の名前は○○です」と言うにふさわしい状況というのはかなり限られている。「私の名前は○○です」に限った話ではないかもしれないが。

  • ○は不自然でない用法。×は不自然な用法。
    • ×「私は歩美だ。」
    • ○「私は歩美といいます。」
    • ○「私は歩美という名前だ。」
    • ○「あの人は咲樹という名前だ。私は歩美だ。」
    • ○「あの人は咲樹という名前だ。私は歩美という名前だ。」
    • ×「あの人は歩美だ。」
    • ○「あの人は歩美という名前だ。」
    • ○「あの人は咲樹という名前だ。その人は歩美だ。」
    • ○「あの人は咲樹という名前だ。その人は歩美という名前だ。」
    • ○「あの人は咲樹という名前だ。あの人は歩美だ。」
    • ×「あの人は咲樹という名前だ。あの人は歩美という名前だ。」

たぶん私は学校でこういう勉強がしたかったのだと思う(思いません)。しかし私の学力と精神力と体力はあまりにも低く、私は勉強をすることができなかった。今も人と話し始めるととたんに頭が混乱し何をしゃべっているのかわからなくなる。この混乱病に気付いたのは最近で、それまでは気付きもしなかった。文章でも2行以上、プログラムでも4行以上になると自分の書いたものでもついていけなくなる(それ以前のことを忘れる)ので、推敲(修正)がいつまでたっても終わらない。明るく前向きの、人が読んでポジティブな気分になるような、ことだけを書き、誰が見ても楽しい気持ちになる日記を書き綴り、書き綴っていきたいなぜなら人生はつらく苦しいことでいっぱいだから、せめて日記くらいは、読む人も書く人も、ほっとできるような、たのしくやさしさあふれる気分でいられるような、多幸感溢れる日記を毎日書き綴り、書き続けていくアイドルのような、多くの人を幸せな気持ちにする日記を書いていきたい。

地域や時代に特有の比喩(言葉)について

「犬食い」にあたるものが英語中国語ギリシャ語他にあるだろうか。あるかもしれないしないかもしれない。コンピュータや丑の刻参りは限定されすぎるし、椅子や人生は一般的過ぎる。「犬食い」を翻訳するとどうなるか、奈良時代の人間にセリフとして言わせるとどうなるか。べつにどうにもなりません。先号のアニマルの「セスタス」に犬食いが出てきた違和感をメモしました。