色の直示定義

「赤」や「緑」という語は、意味を持つためには赤や緑のものの存在を必要としない。赤の私の観念やイメージは赤くはないし、「私は赤い色片を期待している」は、たとえ私が赤いものを見たことがなく、また宇宙の赤いものすべてが破壊されてしまっているとしても、意味をもつ。


ウ『講義I』P87

言葉の意味は心像か、という問題は、上のように考えれば、解決できるように思える。私が今までに赤い色を見たことがない場合、私は心の中で赤い色をイメージすることはできない、つまり、赤い像を持つことができないが、「私は赤い色を見たいと思っている」と言うことができるし、こう言ったとしても、こういう言い方が間違っているわけでも不正確なわけでもない。この言い方は正しい。言葉を正しく使用することができている。
言葉を正しく使用している、ということは、言葉の意味がわかっている、ということになるのか。
上のようなやり方で、言葉の意味は心像、心の中のイメージ、ではない、とした場合、赤い色を見ないまま、赤という言葉を使い続けてきたあと、私が初めて赤い色を見たとき、「これが赤い色か!」と言うとすると、このとき、今までに使っていた赤という言葉の意味に、何か実感的なもの、赤い色を見たときのあの赤赤さが、つけ加わるような気がする。
赤い色をはじめて見たあと、私が赤という言葉に他の色以上に思い入れを持って使用してしまうとしたら、付け加わるのは、私は18歳を過ぎてから初めて赤い色を見た、という特異な事実(を意味する表現)であって、「赤」という言葉の意味そのものに何かが付け加わるわけではないのか。