想像可能な事柄は実現可能

言語に属する複雑度は文法によって与えられる。命題は、命題によって表現される事実と同じ複雑度をもたなければならない。すなわち、同じ自由度をもたなければならないのである。われわれは言語でもって、実際に生じうるのと同じだけ多くのことができなければならない。文法は、われわれが言語によってあることをする(他の事はしない)ことを可能にする。文法は自由度を固定するのである。

色の図式を表現するために、心理学では色の八面体が使われる。しかし、この八面体は、文法の一部であって、心理学の一部ではない。それは、われわれが何をすることができるかを告げる。われわれは、緑色っぽい青について語ることはできるが、緑色っぽい赤について語ることはできない、等々。
しかし文法は完全に任意的な選択の問題であるわけではない。文法は、われわれの事実の複雑度を表現することを可能にしなければならず、われわれに事実が持つのと同じ自由度を与えるのでなければならない。
ユークリoッド幾何学は文法の一部である。それは、表現の規約であり、したがって文法の一部なのである
(中略)
いまや、想像可能な事柄は実現可能であると言う際に何が意味されているかを見て取ることができる。もしある出来事が過去に起きたとしても、そのこと自体は当の出来事が現在起きることが可能であるということを証明するわけではない(もっともわれわれは、ついそう考えがちではあるが)。可能性は、言語そのものの内に表現されている(含まれている)のである。


ウ『講義I』P29