赤い色の赤々した感じ

歯痛を思い出しているとき、何を思い出しているのか。歯痛を思い出すということは何をすることなのか。歯痛を思い出しているときには、弱い痛みを歯に感じているのか。歯痛を思い出すということは、痛みを感じることではなく、痛みを感じていたことを思い出すということだ。その「思い出す」とは何をしていることなのか。やはり、歯痛を感じることではないのか。いや、それは違う。思い出しているときには、歯は痛くない。歯が痛いときは、確かに歯は痛いという感じがあるが……。
というようなことを考えていると、赤い色をしている、と思うとき、赤い色の赤赤したあの赤の感じを確かに感じている、と思っていたが、本当にそう言えるのか、怪しくなってきた。網膜に色を感じるわけではない、網膜に映った赤を赤く感じているわけではない、というようなことを考えると、なおさら、赤々した感じ、があるのかどうか怪しくなってくる。一方、一つの色に注目するのではなく、絵を見たり、風景を見たり、街を歩いているときには、いろいろな色それぞれの色の感じを確かに感じているような気が、なんとなく起こって来る。(ポストの色、赤信号)
「赤々した感じ、があるのかどうか怪しくなってくる」というとき、赤だけを見ている気になっていたが、そのときは目の前に赤を見ているのではなく、赤を見て赤々した感じを感じているのを思い出していた。目の前に赤い色を見るときは、ほぼ必ずある場面の中で赤い色を見る。そういう機会が多かっただけで、赤だけを見ることは可能ではあるが(可能だと考えられる(自分の体も含めて視界を占める色がすべて赤一色のとき、など)が)、何の不自由もなく赤い色を見て赤い色という言葉を使用しはじめてから今に至るまで赤だけを見ていたことはなく、かならずある風景、場面の中の一部を占める赤を見ていた。歯痛の想起と同じように、赤を見ているときのことを思い出しているから、赤を感じないと考える(感じる)だけで、赤を目の前に見ているとき感じる赤の赤々した感じは、やはりある、のだろうか。
歯痛の想起のときには、歯は痛くない。歯が痛いとしたら、それは想起ではなく、歯痛である。ただ、歯痛を思い出しているときは、歯にかゆみを感じているような気がする。かといって、歯にかゆみを感じることが、歯痛の想起を意味するわけではない。