『ウ入門』写像→文法

  • [前期]<写像> 命題(像)が現実と比較され、命題の真偽が決まる
      • 現実と比較をするという行為
    • 命題(像・言語)として成り立っていない命題は無意味である
    • 命題の可能性の条件を見極めなければならない
  • <検証>命題の意味は検証方法である
    • 命題の真偽を確かめるには検証方法が確定していなければならない
    • 検証方法が異なれば命題(の意味)は異なる
  • <文法>
      • [前期]命題は相互に独立している命題(要o素命題)に分析(分割)できる。それぞれの要素命題が現実と比較され、要o素命題の真偽が決定する。要o素命題の真偽から、複o合命題の真偽が導き出される。複o合命題の真偽を導き出す方法は、トoートロジー(論o理規則)に基づく。
    • 「青い色をしているときは黄色ではない。2メートルなら3メートルではない。」→要素命題は相互独立ではなく、文法によって内的に関係している。
          • (『論考』でも色の独立問題について何箇所か言及していた。どのように扱っていたか見なおしておくこと。)
      • 「Aは青い」という命題が、それだけで現実と比較され、真偽が決定する、わけではない。
      • 相互に独立の命題が現実と直接比較されれば真偽が決まる、わけではない。
        • 「Aは青い」という命題が現実と比較される前に、「Aは青くて黄色ではない」という文法規則が前提となっている。
        • 検証条件を指定するためには、文法規則の提示が必要となる。
    • 写像→検証→文法
    • ここまではまだ、(文法規則によって構成された)命題が現実と比較され真偽が決まる、という考えは残っている。
  • <志向性の問題>
    • 命題の意味が確定しなければ検証はできない。
    • さらに、命題が事実と一致することが意図されていなければ、検証という行為は成り立たない。
      • (なんとなく意味はわかるが、ここで出てくる「意図」は唐突。意図されていなくいても、どんな命題でも命題さえあれば、検証可能ではないか? 「意図」されていない命題、とはどのようなものか? そのようなものが可能か? すべての命題は意図があって可能となるということか? 「命題は現実と比較されて真偽が決まる」における「比較」の唐突感と同じような感じもある。)
    • 「言語から志向という要素が除かれるならば、そのことによって言語の全機能が崩壊するであろう」(『考察』20)
    • 現実との一致が意図された像が、検証され、真偽が決まる。
      • <現実←比較→命題>という形にはなっているが、
      • <命題←意図(←現実)>なのだから、
      • <現実←比較→(命題←意図(←現実))>こうなる。さらに
      • <命題(=検証条件の指定)>であり
      • <命題(=文法)>でもある。まとめると
      • <現実←比較(検証)→(命題=文法=検証条件の指定←意図(←現実))>
        • 命題にある、現実と比較されるべき要素、たとえば、「青色」や「2メートル」は、比較されるべき現実(他の可能性(「黄色」「3メートル」))と、外的に関係している(経験的調査によって真偽が決定する)のではなく、文法によって内的な関係を持っていた。
        • 文法と同じように、志向性(意図)は、命題を、比較されるべき現実との一致不一致が問題となる以前に、現実との一致が意図されているからこそ現実との一致不一致が可能となるものとするのであるから、ただ命題は現実と比較されれば真偽が決まる、というようなものでは済まない。

21 志向、意図において本質的なものは像である。意図されたものの像。
意図ということで、検査不可能な、いわば形而上学的要素が我々の考察の中にもちこまれでもするかのように、思われるかもしれない。しかし、像にもとづくこの観方と、ラッoセルやオoグデン、リチャーズの見解との本質的な相違は、この観方が再認を内的関係の認識であるとみなすのに対し、彼等は外的関係とみなすことである。
即ち、私にとっては、ある思想が真である、という事実には二つのもの、つまり思想と事実、しか含まれていない。しかるにラッセルにおいてはこれが三つである。即ち、思想と事実、それにそれが生じる場合がまさに再認である、とされる第三の出来事、である。


ウ『哲o学的考察』P68

ものごとの本質(「〜とは何であるか」という問いへの答え)を決めるのは文法であるから、実在そのものの本質と見えるものは、実は文法が映し出す影にすぎない。たとえば「黄色と青色は同時に同じ場所を占めることができない」という真理は、物理的あるいは心理的な事実を語るものでもなければ、世界そのものの本質構造を語るものでもなく、色に関するわれわれの文法を示すもの、つまり文法的真理なのである。
そんなことはない、文法などとは無関係に、現に黄色くかつ青い表面がありえないという事実があるではないか――と反論したくなる人は、その反論に使われる「黄色」や「青色」や「表面」という語もまた、文法に従って使われざるをえないことを忘れている。つまり根拠づけられるはずの文法に依拠せずには、根拠づけるはずの事実を引証することさえできないのである。それゆえ、われわれは文法の外に出ることができないのだ。

『入門』P118

    • 「文法に外部がないとすれば、現象による検証が、文法規則を外部から根拠づけることができるはずがない。」(『入門』P120)
    • 「現象」→「規準」
  • つづき 規準・兆候・予期・意図・信念