法則を作った後に得られるデータが、法則に一致することは、法則を作る前から想像できる、ことについて

法則を作った後に新しいデータを得たとき、あるいは、法則を作るために直接使用したわけではないデータを法則作成後に法則に合致するかどうか再検討するとき、そのデータが、法則に合致すること(あるいは、合致しないとしても法則からそれほどかけ離れたデータとならないこと)が不思議ではない、とすると、それは、法則後に検討するデータが、なんとなく、<そのようである>、ことはわかっていたから、ということになるでしょうか。
法則後に検討するデータが法則に合致することはわかっていた、とは言えない。法則は、ある時点で作られるもので、その時点以前に、その法則との合致について考えることはできない。法則との合致を考えることができるのは、法則ができた後、のはずです。
法則作成後に得られるデータは法則作成に使用したデータ(法則に合致するデータ)とそれほど変わらないだろう、と感じるとき、「それほど変わらない」とはどういうことかというと、法則に合致する、ということ以外ではない、のではないか。つまり、法則作成後に得られるデータは法則作成に使用したデータとそれほど変わらないだろうと感じることは、論理的におかしいことなのではないか。変わらないかどうかは、法則があって初めてわかることです。法則ができた後に、「そういえばこれも同じようなデータだったな」と思いながら、観測はしていたが検討はしていなかったデータを取り上げる、ということはあるかもしれない。そのとき、「おなじような」とはどういうことを意味するか。それは、法則そのものとの一致ではありえないが、法則を包み込んだ、広義の法則、広範囲に適用される薄い強制力を持った法則、のようなもの、との一致である、とは言えるのではないか。たとえば、物の落ちる速さについて検討しているとき、ある範囲のデータから、ある法則を、数式として立て、それから、その法則と、ほかの範囲のデータとの合致を調べるとき、いきなり上方に向かって動いているデータに出会うことは無いし、重いものほどゆっくり落ちるというデータに出会うことも無いだろう、ということです。



(法則作成時の具体的事例を知らないので、話がかなり大雑把になっているように思います。モデルに当てはめることと、データの取得については、話を分けたほうがいい、ということについては、法則(モデル)作成の事例に踏み込まないといけないような気がするのですが、そのあたりのことは全然わからないので、勉強が足りないような感じです。)