観測データと、法則作成後の観測データ

法則というものは、目に見えるようにあるものではなく、人間が作るものです。もしかすると、人間が発見するもの、なのかもしれませんが、何を発見するのか、ということを考えると、たとえばものの落下に関してなら、アリストテレス(重いものほど速く落ちる、物は本来あるべき場所(地球の中心)に向かって動く)→ガリレイ(ものの落ちる速さは同じ)→ニュートン万有引力)→アインシュタイン(時空の歪み?よく知りません)といった様々な法則が「発見」されているわけで、これを見ている限り、単純に、発見とは呼べない感じです。発見だとしても、「速く走ることのできるトレーニングメニューの発見」というような意味での発見の意味以上では無いのではないでしょうか。
法則は、人間が作るもの、だとして、どのように作るのかというと、観測された観測データに合致するように、作るわけです。できるだけ広範囲のデータをうまく説明する、できるだけ短い説明で説明する、ことができれば、より良い法則ということになるのでしょう。小さな範囲のデータしか説明できないのだったら、たまたま今はそうなってるだけ、この場合にこうなってるだけ、かもしれず、そうだとしたら、法則とは呼べません。やたら長々と説明しないと説明できないのなら、単に多くのデータについて一つ一つ述べているだけ、ということになり、これも法則とは呼べません。簡潔な説明で多くのデータについて説明することができる、ということが法則の必要条件でしょう。必要条件というより、法則というのはそういうもの、なのでしょう。
観測されたデータに合致するように作ったものに過ぎない法則が、観測されていないときのデータについてもあてはまるのはなぜか、何故人間のつくった法則によって、予測ができるのか、が今問題としていることです。
もし、人間は、不思議な力か仕組みかによって、物の動きをつかさどっている、法則を発見しているのだとしたら、そのような法則が世界を動かしているわけですから、人間が既に観測したデータであろうと、まだ観測していないデータであろうと、すべてのデータは法則にあてはまるに決まっています。そこに不思議は全く無い、ことになります。
しかし現実には、人間はデータを見ることしかできません。これが世界を動かしている法則だ!と、どこか(雲の裏とか、お釈迦様の墓石とか)に書き込まれており、その通りに物事が動いている、わけではなく、現実に見ることができるのは、観測された個々のデータだけです。そのデータから、これらのデータは何か単純な法則にしたがって動いているのだ、と仮説を立てるわけです。この場合は、法則は、人間が作ったものだ、ということになります。このとき作られた法則が、既に観測されたデータにあてはまるのは当たり前のことですが(あてはまるように法則を作ったのだから)、観測されていないデータにもこの法則があてはまってしまうことは、不思議なことだ、となりそうな気はします。これが不思議でないとしたら、観測されていないデータにも、今までに観測されたデータと共通の土台がある、ということになる、のではないでしょうか。そうした共通点があるから、法則作成に用いられた今までに観測されたデータと、まだ観測されていないデータとは、全く異なるものではなく、つまり、まだ観測されていないデータは、完全に未知のデータではないため、作られた法則は、まだ観測していないデータにもあてはまるし、法則によって、これからのことを予測できる、ということになるのではないでしょうか。だとしたら、その共通の土台とは何か、ということになります。
しかし、「共通の土台」という言い方(考え方)からも明らかなように、この共通のもの、もまた、法則、ということになるのではないでしょうか。法則の適用範囲、法則の適用可能性、について考えていたのに、それを説明するための「共通の土台」(という考え方)が、既に法則なのだとすると、自家撞着に陥ってしまうのではないか、Aを説明しようとしているのにAを使用してしまったら、説明できなくなるのではないか、と思えるのですが、本当にそうでしょうか。そうではなく、法則というものが、もともと、そうした共通の土台という考え方を含むものだ、ということでしょうか。


整理すると、既に観測されたデータから、法則を作った。その法則は、まだ観測されていないデータにもあてはまった。あるいは、その法則を使用して、予測をすると、当たった。これが不思議なことでないとするなら、既に観測されたデータと、法則作成後に観測したデータには、共通のものがあったからではないか、と考えた。しかし、そうした、「共通のもの」こそを、法則と呼ぶのではないか、もしくは、そうした共通の土台という考え方も法則は含んでいるのではないか、という問題です。
まず、既に観測された観測データと、法則作成後のデータとの共通点とは何か、について、はっきりさせられるだけはっきりさせておきたいです。